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大河ドラマ『真田丸』ー心を読む、受け止める英雄

2016-12-19
「最後まで諦めない者だけに、道は開ける。」
 いくさは心を読んだ方が勝つ
 周囲を受け止める英雄の姿よ

大河ドラマ『真田丸』が最終回を迎えた。これほどまでに「大河」を毎週欠かさずに観たのは、『龍馬伝』以来であろうか。日曜日の夜に1年間毎週必ず「大河」を観るということは、それなりに努力が必要だ。もちろん土曜日の再放送を観るとか録画という方法もあるのだが、場合によると日曜日夜の会食時間をBSで放送が終了した後の19時以降にしてもらうとか、20時までには会食を終えて帰宅するとか、何かと調整に配慮した1年間でもあった。この日の最終回は先行して放送するBSを観るか観まいか考えた末、早々に「結末」を見る気にはなれず、総合の放映時間20時を待つことにした。もう一つ理由があって不在届のあった宅配の再配達が6時台には来るという手はずになっていたのである。しかし宅配は20時近くなっても届かず。最終回視聴中に玄関まで1分たりとも出るのは憚られたので、痺れを切らして不在票にある配達員に電話。そう遠く無い場所にいるというので、路上で受け渡してもらうことにして家を飛び出し、放映の始まった数十秒後に画面の前に戻るというオープニングであった。その最終回であるが、多くの「大河」や連続ドラマがそうであるように、やはり最終回へ向かう直前の数回の内容こそがクライマックスなんだとあらためて感じられた。今回の『真田丸』でいえば、「大坂冬の陣」前後から最終回前夜のラストシーンまでが、まさに見所であった。

幸村が茶々などに訴え続けた冒頭に記した台詞、「世の中に誇り高い死などない」生きていなければ意味がないといった趣旨の台詞が数多く盛り込まれていたことが、大変印象的な台本であった。放映前に「最終回直前SP」なども設定され主演の堺雅人さんのトークも観ることができた。そこで堺さんは「(信繁役は)各回の主役の聞き役」であり「受け止める芝居」に徹してきたといった趣旨の発言をしていた。大河の主役たれば英雄然としていればむしろ安易なのかもしれず、聞き役として各回のテーマたる言葉を届ける芝居の方が難しいであろう。また「(芝居は)考え過ぎたらつまらなくなる」「なりゆき任せでみんなで創る」といった役者としての立ち位置は、実に勉強になった。そこに自然と戦国時代に「心を読み合う」人間像が創り出され、堺雅人色のある「大河」が形成されていたのだと僕は受け止めた。視聴者の子どもからの熱心なFAX投稿に対しても、「一生懸命やっている大人の姿を見せる」ことが大切だと説いていた。宮崎出身の堺雅人さんのこのような役者しての人柄が、まさに太陽と海山の自然豊かな風土で形成されたのであると、県民としての誇りのようにも思えた。

「私が私であること、この世に生きた証を遺すこと」
歴史は些細な「言動」で大きく変転する
真田信繁(幸村)は死んだのか?僕たちの受け止め方が、それを決める唯一の手段である。
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