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講義は外に向けて

2016-12-17
講義で学生が創作した群読
動画撮影をして附属校の生徒たちへ
活動を活用し目的意識を喚起する

講義とは、知識の切り売り場ではない。昨日の小欄で図書館の新たな方向性について述べたが、それと連動し大学の講義も変わらなければならないだろう。課題提示・情報入手をしたら学生は、熟考し対話して実践的に活用するという流れが求められる。例えば、文学史の知識を学んだとすれば、その背景や価値を評価し教材研究に応用し授業創りに活用できるような”仕込み方”が、指導者側にも求められるということである。特に肝要なのは、講義を講義の中で完結させないということだと最近は殊に意識している。学生たちの課題の一つ一つは、教育実習で活用でき応用できるものでなければなるまい。今の自分の能力では対処できない課題について、情報入手・熟考・対話を通して解決策を立てて、それを実践の場で「できる」ようにするのが、教育学部の講義では求められるべき方向性ではないか。

「教室コミュニケーション」を主軸にし、教師の「音読力」を始めとして「伝える力」を養成することを目的とする「国語科授業研究Ⅱ」という講義で、中学校定番教材(すべての出版社の教科書に掲載され長い教材史があるもの)『走れメロス』の群読を、4班に分けて3週間にわたり創作してきた。全編を4幕に分割し小説の筋が理解できれば各班の解釈を援用し、独自な編集で脚本化してもよいということにしてある。この日は、最終的な作品の撮影を講義内で実施。その撮影動画は、附属中学校の学習教材として活用するということを学生たちには宣言している。中学校2年生で例外なく全員が学習した筈の教材であるが、果たしてその読みは深いものであったのか?あらためて「教師」を目指す立場となり教材と出会い直すことが大変重要であると考えている。そして大学生なりの「読み」をもとに制作された群読を、附属中学校の生徒たちが教材として視聴する。この「読み」の伝播ともいうべき縦の関係から、「伝える」とは何かという問題意識も相互に高まる。学生たちはお互いの撮影用発表を見合い、新たな『走れメロス』像に出会い直したようであった。

テクストの「語り」構造も自ずと意識する
大学の講義からまずは開放的にすべき
動かなければ僕の講義単位は取得できないことになっている。
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