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「創作に生きる」ということー心の花宮崎歌会から

2016-12-07
「創作に生きる者の意識」
研究者にない表現力の豊かさ
歌会に参加して独善を超えていけ

月1回の「心の花宮崎歌会」が、通常の土曜日ではなく平日に開催された。今回は、4月から宮崎に移住された俵万智さんが歌会に初参加となった。しかも僕自身も歌会の進行役を初めて担当することになっていて、日常の大学講義や会議とは違った緊張感を持って夜の中央公民館へと赴いた。さらには先月から僕の研究室のゼミ生が参加し始めているが、この日も2名の学生が参加し、うち1名は詠草も提出し歌会に臨んだ。人生においては学生時代に出逢う人々によって、その後が豊かになるか否かが決まるほどの大きな影響があるように思う。この日に参加した学生は俵万智さんと身近に出逢い、懇親会を含めて様々にお話をいただいていた。日本全国を探しても国語国文学を勉強していて、これほど幸せな環境もそう多くはあるまい。何事も内に籠るのではなく、広く大きな世界で生きる人々と出逢うことで、人生の視野も宮崎から望む太平洋のごとく、広く大きく拓けるものである。

宮崎歌会の中心である伊藤一彦先生もそうだが、俵万智さんなどが歌について批評する際の「表現」は、聞いていて実に的確で分かりやすい。歌の読みの視点を定めて、その眼目を平易に率直に語る「ことば」を持っている。正直なところ研究学会での発表などにおける研究者の「表現」とは、質的に差違があるように思えてならない。僕のゼミでも卒論で短歌学習をテーマとし、その「学習」によって日常の「言語生活」を豊かにするといった趣旨の研究をしている学生がいるが、「短歌」を学ぶということは、まさに「表現力」を磨くことになるのだと歌人の方々を見て実感する次第である。歌会開催の公民館から懇親会への会場移動の際に、学生たちとともに舗道を歩きながら、僕は俵万智さんに問い掛けてみた。「研究者の弁舌とは違って、万智さんの歌への批評は実に分かりやすいですね」と。すると「そうですか。やはり創作に生きる者だからでしょうか」といった返答をいただいた。日常から的確な「ことば」を誰にでも「伝わる」ように意識して生活すること。その道においての「プロ」の言葉なのだと、日本文学・国語教育を研究対象とする「プロ」として、深く自分の姿勢について考えさせられる夜道であった。

無駄のない的確な「ことば」
「伝える」という強い意志を持つ
それはまた「相手」と「自己」の日常に敬意を払い、「うた」を心から愛することでもある。
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