うたは何から生まれどんな効き目が
2016-12-06
「文学の効用は?」と講義で学生に問う「人の心情が分かるようになる」が一番多い反応
「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」(『古今集』仮名序)
「文学」を教材として「国語」で学んだことによる「効用」をどのように捉えているか?そんな疑問を毎年2年生の学生たちの講義で問い掛けている。例年その反応として多いのが、「人の心がわかるようになる」である。今年もまた同様であったから、小中高と学んだことで概ね「国語」は「感性情緒を育む」といった点をかなえていることになろう。学生の多くはSNSを利用し友人たちとのコミュニケーションをとっているが、そこで伝達される「文字」の中から相手の「心情」を汲み取り、良好な関係性を保っているようである。となれば「国語」の試験における「登場人物の心情」という問いは、決して悪いわけではないと思えてくる。ただ問題なのは、その「文学」に核心的な「正解」としての「心情」が存在するという思い違いなのではないか。あくまで「読者とテクストの相互作用」において「文学」は成り立ち、その「相互作用」を他者と擦り合せて「自己」を知るのが「国語」の学習として肝要ではないのかと思われる。
冒頭に記したように、「やまとうた(和歌)」の本質は「人の心」であると『古今集』は仮名序冒頭で宣言する。「恋」の歌はもちろんであるが、「四季(自然詠)」でもその歌は「心」から発しているということ。その後に「仮名序」では「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(おとこおんな)の中をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心を慰むるは歌なり。」と効用を説く。「天地」を自然に動かし、「目み見えぬ神霊」の心を動かし、「男女の仲」を和やかにし、「勇猛な武士」の心も慰めるものであるとしている。いわば社会的な「効用」を列挙しているわけであるが、いずれも対象と相互に「心が通い合う」ことを旨としているわけで、いわば現代のSNSにも匹敵する「コミュニケーション」の具として「やまとうた」は定義されているということになるのではないか。もちろんこの記述は「勅撰集(天皇の命により編纂された歌集)」という政治性があるのは自明であるが、それを抜きにして「やまとうた」の本質を読み取ることを重視してもよかろう。やはり「うた」というのは「心」を詠み、その「心」を読むという相互作用により長き歴史の中に存在し続けていることが確認できる。
宮崎に帰り母に電話すると
「また一首うたができた」と声で伝えてくれた
あれこれと電話口での「説明」より、遥かに母の「心」が伝わってきた。
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