和歌をかくための文字
2016-12-05
かなは「仮の文字」漢文を書くための「真名」に対して
「和歌」をかくために創造されたもの
出光美術館に赴き開館50周年記念「時代を映す仮名のかたち」を展観した。展覧会場の冒頭挨拶にあった「仮名は和歌をかくための文字」は、もちろん自明のことではあったが、あらためてその視点で古典籍を鑑賞すべきであるという思いを抱き会場を進んだ。伝貫之筆「高野切」からはじまり、時代を追って和歌の古筆が豪華に勢揃いしている展観に、思わず「いま」を忘れてしばし見入ってしまった。各時代の和歌の価値や特徴を反映して、文字様も変化していき造形上の美とともに「和歌がかかれる」ことの意味を深く再考した。手鑑に見られる名筆の列挙などは、まさに「仮名」の比較において、その意識を覚醒させるに余りある文字が目に飛び込んでくる。やはり「本物」を観ることにまさる動機付けはないと、自分自身の姿勢をあらためる思いとなった。
ワープロの普及以後、漢字仮名交じりにおいて「漢字率」が上がったという報告がある。変換候補を示してくれるゆえに、執筆者が「漢字」を使用する意志がなくとも、第一変換候補が漢字であればそれを選んでしまうからだ。その背景には、学校教育の場での「漢字の方が高等」であるという意識があるだろう。「仮名」ばかりの文は「幼稚」であると見なされ、なるべく「漢字」で書きなさいという指導が発達段階んに応じて施されるからだ。だがしかし、一定の線まで「高等」になったならば、「漢字」と「仮名」の表記を意識して選択するのがより「高度」であると考えるべきではないか。それに伴って「漢語使用率」も使用目的に応じて吟味するべきではないだろうか。そこで原点に立ち返って「歌を表記するもの」としての「仮名」の意味を再考したくなるのである。「かな」で書かれるということは、「音」つまり「声」がそこに存在することでもある。明治以降の表記のあり方なども鑑みて、「うた」と「かな」と「やまとことば」との関係性について、諸々と考えてみたくなった次第である。
実家に行くと母がうたを披講してくれた
手帳に手書きで「うたをよんだ」のだという
初心ながらその「うた」らしい響きに思わず涙腺が緩んだ。
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