国文学の道・目指したき先輩
2016-12-04
「国文学」と出逢ったところ多くの先輩と後輩を見回して
新たに起動する研究への野心
中学校や高校の頃からとりわけ詩歌が好きで、和歌・短歌はもちろん俳句に漢詩まで主に短詩系文学をよく読んでいた。高校3年次に大学受験講習会に通うと早稲田大学出身の英語の著名な先生に出逢い、一時は「英語学」を志そうかとも考えた。だがその先生と話すうちに「比較文学」の立場から詩歌を研究する視点を得て、やはり「国文学」を専攻とすべきと考えた。どうやらその英語の先生も学生時代に国文学か英語学かと考えた結果、後者の道を選んだのだと知った。大先輩・若山牧水がそうであるが、明治期の著作者には「英語・英文学」の出身者も少なくない。早稲田大学では「国文学」以外から優秀な著述家もたくさん輩出されている。だがやはり「早稲田の国文学」ここにあり、とあらためて思うような先輩たちに多く出逢い僕も今日まで歩んで来ている。
「早稲田大学国文学会秋季大会」に久方ぶりに出席した。僕は学部生の頃から万葉集研究会の院生である先輩たちに混じりよく出席していた。その当時、懇親会などを通じて出逢い印象深い先生・先輩として、神野藤昭夫先生がいらっしゃる。今回はその神野藤先生の「晶子・源氏・パリ」と題する御講演があるというのも、出席した大きな動機である。神野藤先生は言わずと知れた平安朝物語文学の著名な研究者であるが、与謝野晶子に関する研究でも奥が深いものがある。御講演では晶子の「パリ体験」を具体的な資料を存分に活用して再現され、『新訳源氏物語』への影響について執筆事情の検討を精密に検討されていて大変面白く拝聴した。近現代作家が古典文学とどのように通底しているかを考えるのは、我々の「古典への視座」を確認する上でも大変重要な仕事であるとあらためて認識した次第である。こうした神野藤先生の研究は、まさに今現在の僕自身の新たなる方向性の理想的なモデルでもある。今後、僕が研究対象としたいと考える若山牧水も、晶子の影響が指摘されていることや、明治期の新たな短歌に多大な影響を及ぼした晶子の時代については、古典和歌との関連から研究を進めたいと思っている。御講演の上品かつ洒落のきいたお話しぶりなども含めて、また国文学会という場で見習いたい先輩として出逢い直した感慨を覚えた。
文学と向き合う
その価値を決して僕たちが諦めないこと
様々に越境した新たなる国文学を目指して挑戦を続けよう。
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