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望みを捨てぬ者だけに

2016-11-28
困難な状況に陥った時にどう考えるか
「望みを捨てぬ者だけに道は拓ける」
家康の策士ぶりと追い込まれる幸村

11月も末となり季節柄、大河ドラマが大詰めを迎えている。大坂冬の陣以後、大坂城に砲弾が打ち込まれると、豊臣方が和睦に傾く。その結果、大坂城の濠を埋めて出城である「真田丸」の取り壊しが決定される。この争乱の原因が大坂城内の真田幸村を始めとする浪人衆の振舞いのせいだとして、双方の女性同士の和睦交渉の結果である。ドラマの演出もあるのだが、そこには家康の陰謀が仕組まれている。「勝つためにここへ来た」と豪語していた幸村であるが、さすがに戦う術を失い、弱気になり諦めかける。そこへ後藤又兵衛らの浪人衆が決起して幸村に「策を案じろ」と迫る。果たして「義」とは何か?幸村の父・安房守昌幸も死ぬまで「親方様」武田勝頼への「忠義」を思い続け、そのためには「何でもする」という信念を貫いた男として描かれる。「何でもする」となると「裏切り者」などという評判も立つものだが、人の生き様というのは一面では判断できないものであるという思いを致す。

世間というものは往々にして、他人の一面のみで評判を立ててあれこれと噂を流布させるものである。その根拠のない噂に左右されていては、物事の大局は見えてこない。現代においても生育段階から様々な「場」に所属して、我々は生きている。「家庭」「学校」「職場」などの中で、果たして「義理人情」とは何であるか?とふと考えてみたりもする。家族への情愛に厚いか?学校では信頼できる友人はいたか?職場では何のためと意識して仕事に従事しているか?僕がこれまでの人生を歩んだ上で、こんなことを自問自答してみる。すると常に「まず自分を磨き続けて高めること」こそが、現代的に「義」を貫くことではないかと思えてくる。それは決して自己中心的な思考ではないと自負する。期待をかけて育ててくれた両親には、志望大学合格や就職に博士号取得で報いたのではないかと思う。学校では野球部など部活動の際に深く思ったが、まずは自分の力量を上げることが友人の信頼に繋がった。そして職場でも、どれほどに深く教材研究・授業研究に励めるかという点が、所属する「学校」への「義」ではないだろうか。「個人」が尊重される権利が確立している現代社会においては、「望みをもって自分を磨き続ける」ことが結果的に他者への貢献にもなることが前提であると、忘れ得ぬことが肝要だ。

真田側から見た徳川家康像
片桐且元などの「忠臣」を陥れる
あらためて「個」が尊重されるべき世に生きていることを、僕たちは確認すべきである。
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