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群読表現を現場に運ぶ

2016-11-26
国語科授業研究の一環
詩の群読創り
発表する学生たちを近隣の小学校へ

担当科目「国語科授業研究II」は、3年生9月に附属校での実習を終えた「国語」専攻の学生を中心とした受講者による講義である。(毎年、数名の他専攻受講者がいる)4年次に控える公立校実習に向けて自らの「授業」をより現場に即したものとして、児童生徒との対応力や授業づくりの精密さを身につけるべきものと僕はシラバスで位置付けている。学習指導案を作成しそれに沿った「授業をする」ことは、既に附属校という現場で経験しているゆえ、授業内での教師の「音読する力」や児童生徒との「コミュニケーション力」を養うということである。大学の講義となるとどうしても机上の理論に終始しがちであるが、前述した目的を達成するためにはやはり現場で直接に児童生徒に触れ合う機会が必要である。そこで昨年度から交流のある大学近隣の小学校の「現場」を、なるべく学生たちに「体験」させるようにしている。

以前に恩師である歌人の佐佐木幸綱先生が、「現代短歌は運動不足である」といった趣旨の発言をされたと聞いた。短歌創作において「机上」で為されることが多く、創作者の生の脈動が感じられないとった批評ということになろう。考えるに「活動型授業」という観点からすると、小中高大学を比較すると、「大学教員」が一番「運動不足」な授業をしていることにはなるまいか。次第に状況は変わりつつあるが、固定された階段教室の机椅子に学生を固定し、ただただ持論を淡々と一方的に喋るだけという形式から、なかなか脱することが難しい。理工系で実験中心ならば状況は違うのだろうが、このあたりにも人文系が誤解されてしまう要因があるのではないかと思わざるを得ない。そこで「運動不足」解消のためにも、僕は授業内で表現活動を重視し、さらには学生を「本気」にさせるために、現場に引っ張り出して子どもたちと出逢わせる機会を設けている。この日も学生たちの創った「読み語り」や「群読」を、小学生の前で表現してもらった。その「体験」から、学生たちは「教師」という仕事とその力量を直接に見つめることになる。

何事も「運動不足」では成長しない
机上で頭だけで考えず「動きながら考える」こと
「教師」という仕事の何たるかを知るためにも。
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