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笑いのツボはどこにあるかー落語の対話性

2016-11-18
どこでどの程度笑うか?
聞き手の思考が浮かび上がる
落語の対話性から学ぶこと・・・

金原亭馬治師匠、宮崎での3日目。芸術家派遣活動として大学からほど近い木花中学校での「落語教室」開催となった。各学年ごとに「落語入門」で所作の紹介や落語が「想像力」に依存した伝統芸能であることを説き、その後の一席、最後に質問を受け付けるという流れを3回繰り返していただいた。中学生というのは、学年ごとに心身の発達が著しい時期である。僕が中学校教員だった頃のことを思い出してみても、それぞれの学年に応じて柔軟な対応が必要であったと記憶に深く刻まれている。個々を尊重しつつ学級をまとめるのには、教師として様々な苦労があったと振り返ることができる。この日の「落語教室」でも、それが実によく見て取れる流れとなった。小学生のようなあどけなさの残る中1、心身が大きく変化しつつある中2、そして既に「大人」へと足を踏み入れている中3。同時にそれは「落語」というものが、実に「聞き手」によって変化する「いきもの」であるかを痛感する機会ともなった。それぞれの笑いのツボや程度の記録からは、興味ある結果が出るのではないかと思われる。

夜は僕の公開講座「朗読で味わいを深める日本文学」で「古典落語の響き」を開催。平日19時からの開演となったが満員御礼。馬治師匠も昼の「落語教室」で喉に脂が乗ってきたのか、好調な語り口で合計3席の演目を披露してくれた。1席目「真田小僧」では幼少の子どもと父の関係が滑稽に語り出された。「親子酒」では大人になった息子と父の似たような酒飲みという性癖を露呈する関係が見事に描かれていた。「お仲入り」の後には母と子の関係を描く人情噺「景清」、これには「笑い」のみならず、ホロリと涙腺が緩む場面もあって奥深い公開講座となった。僕が教育学部所属ということもあって、「親子関係」をテーマにした3席を師匠は設定してくれたのだ。馬治師匠と話していると、やはりお客様の「笑いのツボ」を「マクラ」などの際に探りを入れて、それがその日の語り口に反映してくるのだいう。年齢や職業に生活環境が違う多様なお客様の場合でも、「マクラ」で個々の方々との「対話」があるということ。よくよく考えてみると、学校の「教師」はこうした「対話」に無頓着なことが多い。「聞かせる」のではなく「聞く気にさせる」ということに「学校」は、「教師」はもっと配慮すべきであろう。とりわけ「大学教員」こそ、今まさに落語の「対話性」が求められているはずだ。

公開講座後はゼミ生たちと馬治師匠との対話
「教師」を目指す学生だからこそ必要な「笑い」と「人情」を学ぶ
かくして馬治師匠の宮崎も最終日へ。
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