人生は「抽選」で動き始める

2016-11-12
「抽選」の結果をどう受け止めるか
自分の力ではどうにもならないことで
自分がどうしても獲得したい機会が与えられるか否か・・・

幼少の頃から「抽選」には強い方でない、と思ってきた。小学生向けの学習雑誌の懸賞の応募に励んだが、当たったことなどなかった。昔は子供向けテレビ番組で、「葉書」による応募が諸々とあって、すぐ消えてしまう画面に映る応募住所などを必死で書き留めたりもしたが、「葉書」を出してもほとんど「結果」は出なかった。それでも何らかの「宇宙基地」らしき大き目の玩具が1度だけ当選したことがあったが、自分がどうしても欲しい類のものではなく、今にして何の「基地」だか分からないほどの記憶しか残っていない。何より嬉しかったのは「8時だよ全員集合!」の公開入場券が当たって送られてきたことで、その「葉書」を手にした時には、ドリフの4人が会場の通路から舞台へ向かって駆け上がる際に、誰かと握手ができるのではないかなどという幻想抱いた。だが当日の「文京公会堂」という会場に行くと長蛇の列で、結局は2階席の後方で小さなコントを見るに過ぎず、加藤茶さんの「ちょっとだけよ」のピンクの光だけが、鮮烈に記憶に残っているぐらいである。

大河ドラマ『真田丸』を観ていると、信繁(幸村)の父・昌幸が、真田家の行く末に関わる重大なことを決めるときに、「こより」の片側に色を塗りつけ息子たちに引かせて、どちらの大名に従うかを決めるという場面が前半で数回は見られた。徳川・北條・上杉と大きな勢力の大名たちに囲まれた小さくも巧妙な真田家を継続するために、真田安房守昌幸は「抽選」に運命を託していたというドラマの演出である。「肝心なことだから(偶然に任せて)これで決めるのよ」と豪語する安房守(役・草刈正雄)の言葉は、「運命」に翻弄された戦国時代の生き方を考えさせられる。実は今昔を問わず我々は「抽選」のようなことの上に、「運命」を委ねているのかもしれない。僕自身を顧みても、初任校も転勤した学校と出会ったことも、そして全国津々浦々に放った公募書類の中から、「不採用」と書かれた通知を常識を超えるほどの数を目にして、ようやく現在の位置に「当選した」ようなものである。そこにはやはり「縁」とか「運」とかを抜きにして考えることはできない何かがある。僕自身はやはり「宮崎」という「こより」を自ら引いたように思っている。

この日は競争率の高い得難き「抽選」に当選した
9月の「牧水祭」から「運」が僕に向いているように思えてくる
2017年に向けて個人的には大変嬉しい機会を与えらえた。
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