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有田芳生さんの「認識・コメント・知性」

2010-06-08

7日(月)先週来、何回か触れてきた有田芳生さんが新たに出版された『闘争記』(教育史料出版会)には、有田さんがこれまでに書いてきた原稿で、「今後も5年10年と活きていくもの」を厳選したという。ページを紐解いていくと、有田さん自身がいかに「現場主義」で、自らの足で取材を重ね、真実を追求してきたかが刻銘に理解されてくる。人生の紆余曲折や、間違いと思われるものには毅然と立ち向かう姿勢、どれもその実直さから生じた透明感ある人柄の表れだ。

 その中でも、人口に膾炙したお仕事が、TVのコメンテーターとしてのものだ。有田さんはコメントについて次のように述べる。

 「コメントとは言葉を媒介にした世界認識のありようであり、自己認識の投影でもある。」

 またコメントを1分から1分半にまとめる過程として

? 情報の収集と整理
? 取捨選択
? コメントの構成

 という三段階を挙げている。

 その上で、「ところが「大学教授」や「評論家」の肩書きで専門的な内容を語っても、その物言いが高見から行われたエキセントリックな場合には、受け取る側にはそれだけ反発してしまう者が多い。」ともいう。やはりコメントは、「届く言葉」でなければならないのだ。これは、どの職業に於いても重要な要素となるだろう。

 またジャーナリズムにおいては、「断片的な事実をインテリジェンスを駆使して関連付けることで全体像が浮かび上がってくる。漫然と眺めているだけでは見えないことが、問題意識を持ちながら対象に立ち向かうことで明瞭に姿を現してくるのだ。」という。そこに野次馬的な取材とは程遠い、「知性」と「問題意識」に根付いた姿勢があるのがわかる。

 我々庶民が、政治や社会問題を認識しようとする際に、メディアの媒介なくして知ることは不可能である。しかし、そのメディアの発信する「コメント」が、いかに真実に対して問題意識を以て「認識」しているか、そして「知性」を以て関連付けられているかを、吟味する必要があるはずだ。有田さんの業績には、こんな点が満ち溢れている。

 
 自らも仕事の上で「認識・コメント・知性」は不可欠な要素。改めてこうした思考を重視しつつ、新しい道を模索していくべきだ。

 仕事帰りに池袋のLIBROに寄って本を探していると、偶然にも、かなり前に書いて提出していた自分のコラム原稿が掲載された新刊本を発見。その内容を読み返しながら、今でも通用するものであることを確認。目的の本と併せて思わず購入した。自己の「認識」が小さな「コメント」となり「知性」を以て書物に収められていた。

 こうした嬉しさを次なる活力にして、日々「知性」を保った生き方をしたいものである。
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