思い込みと個性に評価

2016-11-10
この世に「あり得ない」はなし
予想や世論のいかに不確かなこと
そして思い込みなく個性を発揮できる歌とは・・・

午後はこの日から始まった1年生「国語」のオムニバス講義担当。班活動を中心に図書館ラーニングコモンズで実施している。その課題としての冒頭に「『やばい』という語彙の意味を辞書的に表現する」ということを試みてみた。大学1年生の「日常言語診断」である。それも最近は「食べ物が美味しい」などの場合に、「良い意味」で使用する若者が多いことからである。僕としては講義の最中も刻々と開票が進む米国大統領選挙が、よほど「やばい」のではないかなどと考えながら講義は昼休み後の3限であるにかかわらず個々の学生たちの思考が深まる様子が観て取れた。それにしても選挙前の予想や世論に反して、米国民は「ジョーカー」札を選んだ。カードゲームの際に所謂「ババ抜き」であれば、大きな損出を受けることになるが、時と場合によっては「ジョーカー」は有効なカードにもなる。せめてそんな考え方をしなければ、この状況は受け入れ難いと思いながら、時刻は夕刻になった。

夜は月1回定例の「心の花宮崎歌会」に参加、この日はゼミの学生たちも3名が出席した。参加者の無記名の歌を批評していくにあたり、多くの意見が出され多様な「読み方」に気付かされる。事前に読んで様々に調べているが、歌会でその範疇を超える「解釈」に出会うこともしばしばだ。そして自分が出した歌はあまりに「可愛い」ゆえに、客観的な批評を自ら施していないことにも気付かされる。あくまで自分の歌に対しては「親バカ」ならぬ「歌バカ」になっているのである。その思い込みを排し聊か手を入れれば、たぶん歌はさらに他者の心に伝わるものになる。そしてまた自分では良かれと思って使用した語彙が、他者にとっては「嫌悪」の対象になっている場合もある。個人的にはそのような学びをしつつ、この日は学生たちの発想豊かな読みに驚かされた。ゼミでも多様な意見を交流する機会を設けているが、大学外のこうした場で多くの年齢層の方々を対象に、自らの考えを伝えるのは大変重要なことだ。言語感覚を豊かにすることにも、人間関係性を学ぶことも、こうした「外」へと学生たちを導かねばなるまい。

穏やかに自己を見つめる
自己の評価と他者の評価を擦り合わせる
思い込みを排し個性を発揮する道は容易ではなく、この世界もまた新たな局面を迎えたのか。
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