保護者との対話があって
2016-11-07
大学で開催する保護者懇談会今や全国的に実施されているのが実情
各自がお互いを思い遣る時間であれば・・・
「大学」で「保護者会」と聞くと、実情を知らない方々には何ということだろうと驚くかもしれない。「大学生」ともなれば、独り立ちして「入学式」や「卒業式」でさえも、親に対して「来る必要はない」と学生本人が豪語した時代もあった。現在は「入試」の折も含めて保護者控室の設定が重要であり、「入学式」「卒業式」は祖父母の来場するご家族も多く、座席数が足りなくなることもごく一般的な事例である。大学側としても少子化の波を鑑みて、保護者対応やご家族を積極的にアカデミックな場に引き出す施策を検討する必要があるのかもしれない。公開講座などを通じて学生のご家族も大学で学ぶような環境が、今後の日本社会には求められているようにも思う。少子化・晩婚化などの現象が今後の社会に与える影響は未知数であり、貧富の格差や衝動的な理由なき犯行などの社会の変質に、「大学」という場が今後どのように応えていくかということも大きな課題だと思われる。
「独り立ち」という観念に対して、この国の社会は甚だ曖昧なままに多くの人々が甘受してしまっているようにも感じられる。だからこそ「子ども」の本音、「保護者」の本音を分かり合える機会も必要なのではあるまいか。この日に行われた本学の保護者懇談会では、現4年生で教員採用試験に合格した学生と対話形式でのトークが行われて、まさに「大学生」として「保護者」にどのような対応をして欲しいかなど、参考となる意見が多数披露された。「学校」の授業が今や「対話型」「活動型」に変質している以上、こうした懇談会の形式にも工夫が求められれるであろう。「教員」視点のみの「説明」では、いかにも旧態依然としているということになる。「責任追及」「一方的批判」「開き直り」「権威・権力の押し付け」などが横行する社会にあって、「対話」を築くことこそが、あらゆることを改善するようにさえ思う。その基本は「双方が心から尊重し合う」ことに他ならない。「学校」では「一人ひとり」が尊重されてこそ、「対話」理念の授業は成立するのだ。
ゼミ学生の御両親と豊かな「対話」が
繰り返すが「双方が心から尊重し合うからこそ」
このくにの再生のための「小さな一歩」だと信じている。
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