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坂本龍馬没後150年特別展

2016-10-31
「世の人はわれをなにともゆはばいへ
わがなすことはわれのみぞしる」
京にて、いまあらためて龍馬の志を読む

高校生の時に出逢った司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』を、今までに3回は読み直している。自らの人生の節目節目で、主人公・竜馬の生き様はそれぞれに違って読むことができ、その都度、その先の道に希望をもたせてくれて来た。一番最近読み返したのは、NHK大河『龍馬伝』が放映された年のことだが、中高専任教員を続けるか大学での教育経験を重ねるために非常勤講師になってしまうかと悩んでいた頃であった。「竜馬」の脱藩という大局を見た選択が、僕自身の背中を押したのは言うまでもない。

当時の思いも小欄に綴っていたのだが、特に京都での龍馬の足跡を自分の足で追いかけ、寺田屋や遭難場所や墓所に頭を垂れて、その志のあり様をこの身で実感しようとしていた。「私心があっては志と言わず」という龍馬の言葉に、僕はどのように生きればいいのか?と自問自答し、歩むべき道を探していた。そして数年後に「わがなすこと」をすべき場所が宮崎であることとなり、今に至るわけである。毎年のように龍馬の命日である11月15日に京都の墓所を訪れたいと思いながら、仕事や京都の宿の予約が難しいことなどと相俟って、実現に至っていないが、今回は一番近い時季に京都国立博物館で特別展を開催している幸運に巡り会えた。

今回の展示では、暗殺時に佩用でその鞘で敵の刀剣を受けたという銘吉行という日本刀や、血染めの書画屏風に梅椿図掛軸などが目玉ではあった。その既に薄くなりつつある血飛沫に、龍馬の無念を読み取り胸が熱くもなった。だがそれ以上に今回の展示で興味深かったのは、大量の龍馬の書簡の展示であった。その文字を読み進めるうちに、龍馬の思い遣りある人柄に触れ、そして志を叶えようとする行動力や視野の広い構想などが、僕の心の内に躍り上がるように立ち上がってきた。最近は重要な案件でも多くが電子メールで送ることが多いが、その文面を僕自身はどれほどの迫真さをもって記しているだろうか。あらためて「手書き書簡」の大切さを再考するとともに、人と人を繋ぎ心を動かすのは「手紙」であるということを見直そうと思うに至った。

手紙の中には冒頭に記した著名なものを含めて和歌もあり、龍馬が歌の心得もあったことが偲ばれた。決して「上手な」とは言い難いかもしれないが、志を高く生きた人物の歌は心に深く共鳴する。そういえば、6月に行われた短歌トークで俵万智さんは「短歌は手紙」という説を述べていた。自己満足ではなく、自己の心情を如何に他者に伝えるか。その訴える言葉を紡ぎ出すのが、短歌なのである。あらためて多くの龍馬の手紙文を肉筆で読むことができて、また僕の中であらたな龍馬像が膨らんだ思いである。

賑やかな京町を歩き新たな志が起動する
そしてまた宮崎で繋がりのある店主のカウンターへ
仮装者が跋扈する街の喧騒をよそに、龍馬の遭難地で深く頭を垂れて手を合わせた。
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