「生涯一教師」の思い

2016-10-27
輝く中学生の眼差し
構想の意図を受け止めてくれる爽快感
教壇に立つ・・・生涯一教師

「生涯一捕手」とは、野村克也氏の名言として有名である。テスト生として入団し、現役時代は捕手ながら好打の選手として活躍しつつ、途中から監督も兼ねて球団に貢献し続けた。その後、球団を追われることとなるが、他球団から誘いを受け「一捕手」として45歳まで現役を貫いたという選手としての矜持を表現した名言である。どうやら「生涯一書生」という、禅の言葉をもとにした発言であるらしい。昨日、僕自身が抱いた感慨はまさに「生涯一教師」であった。好奇心旺盛な中学生たちに、自分の好きな文学教材の授業をする。その例えようのない爽快感は、体験した者でなければ決してわからないであろう。人が人と向き合い、人が創り上げてきた「言葉の彩」を、人として伝えていくこと。その「教える」という行為の中に、「個人」の中に醸成された「文化」が見え隠れする。臆せず頽廃せず無関心にもならない純粋な「学び」への欲望が、中学生の眼差しに反映している。東アジアにおける「言語文化」のあり方の一端を提示する僕の授業構想を、存分に受容してくれた中学生たちの姿に触れるにつけ、「教師」になってよかったという純情な感慨を、今更ながら深く抱くのである。

附属学校との共同研究においてこの3年間で、年に1回は小・中学校いずれかの教壇に立っている。教育学部の教員として、特に「教育研究(教育法)」を担当する教員として、自らが「できない」ことを学生たちに教えられないという思いも強い。その上で研究に携わっている者としては、授業実践も「プロトタイプ(試作車)」であるべきだとも思う。現況の教育の時流も意識しつつ、批評的に新たな前向きな提案をする姿勢が求められているだろう。この日の研究授業も、「デジタル教科書」を使用するという内容であった。教材は僕自身が得意とする「漢詩」であり、「デジタル」に収められた「中国語」と「訓読日本語」の音声を使用し朗誦を中心にした授業展開を意図した。最終的に班ごとに様々な形式で漢詩を読み合い、各班が「暗唱作品」を発表するというのが概ねの流れである。「国語」でなぜ「漢文」を学ぶのか?という確固たる問題意識を啓発する授業は、そう多くは実践されていないように思われる。「デジタル」でできることは、「自動運転」に匹敵する「オートマチックな授業」では決してない。それを如何に利用するかという「一教師」の独創性が、より求められるのではないだろうか、という問題提起はできたように思う。

「教えたい」と僕が中学生の時に抱いた志
「深く教える」には「研究」が欠かせないと決意した「教師」になった後の志
「生涯一教師」そしてまた「研究者」であり「表現者」でありたい。
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