己に嘘はつけぬものなり
2016-10-18
性分・性癖・本性己の行動の傾向を外側から見つめて
総合的に考えてそれが「自分」なのだと・・・
「学ぶ」「学習する」という単純な単語があり、その意味をわからないという人もいないであろう。だがしかし、本当にその「意味」をわかっている人はそう多くはないように思えることもある。例えば、自分のことを考えてみても、過去に「学んだ」はずのことでありながら、繰り返し同じ傾向の行動を採ってしまったりもする。それを「性分」と済ますのは簡単であるが、言動の後になって誠に「愚か」であったと省みることも多い。その反面で、やはり「自分の心の赴くまま」というのが「自然体」で良いと思い直すこともある。こう考えるとやはり「学ぶ」ということは相対的なもので、「絶対」と決めつけたり思い込んだりすること自体が「学び」ではないということになろうか。また短絡的に判断したり焦って結果を求めたりすれば、やはり相対化にはならず「性急」な「愚かさ」となって現れてしまうようでもある。
『論語』以来、さまざまな「学問論」で語られて来たことであるが、「自分が何をどのように”知らないか”を”知ること”」が「学び」だと云う。「自分が知らない」ことを誤魔化して現実を受け入れなければ、結局は「己」にその瑕疵がすべて返ってくるものである。病いなどの場合の把握においては、そうした「学び」こそが大切だと痛感することがある。いずれの場合であっても何より避けるべきは、「己」の中だけに思考を込めておくことであろう。それはまさに「知らない」事実にさえ気づかず、独りよがりで頑なな危うさを伴う。信頼できる人には自己開示をして、思考を相対化する場を持つ必要がある。そうした場における他者の反応によって、ようやく「己」が見えて来る。学問でも日常生活でも、こうした姿勢が肝要だと最近殊に思うことがある。その上で「己に嘘はつかない」ことで、ようやく「自己」を保っていけるのかもしれない。
重要な言葉のやりとり
日々の文脈の中で相対的に判断する
それでいて「心の赴くまま」でも「学び」続けるということ。
- 関連記事
-
- 獅子舞で開運を願う2017始動 (2017/01/02)
- 今日を 今日を生きる (2016/12/31)
- 大河ドラマ『真田丸』ー心を読む、受け止める英雄 (2016/12/19)
- 立ち止まることもいい (2016/11/29)
- 望みを捨てぬ者だけに (2016/11/28)
- 「物語」はひとつじゃない (2016/11/23)
- 「試作」を繰り返し対話に晒す (2016/11/14)
- 己に嘘はつけぬものなり (2016/10/18)
- 己の運命に気付くか気付かぬか (2016/10/16)
- 無為自然は自らを見つめる心から (2016/10/14)
- ただ「今」を前へと歩む (2016/10/11)
- 誰かがあなたを求めている (2016/10/10)
- 新しい朝が来た (2016/10/04)
- 掃除は運気をもたらすか? (2016/10/03)
- 去りゆく9月見送りて (2016/09/30)
スポンサーサイト
tag :