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己の運命に気付くか気付かぬか

2016-10-16
「運命」とは何処にあるのか?
そしてまた「生きた証」はあるか?
静観した時に見えてくることから考えて・・・

先月から土日の研究学会出張が多く、ゆっくりとした休日となるのも稀である。筆者は今「出張」と書いたが、正しくは「自己研修」がほとんどとなっている。いづこの大学もそうであるが、現況では研究費がかなり縮減され、「出張」に使用できる分はかなり制約される。それでも複数の研究学会に所属しており、各分野の最先端研究に触れぬわけにもいかぬと思い「自己」の裁量で時間的にも経済的にも土日は学会に行くことを選択する。ちょうどこの土日もある所属学会が開催されているが、さすがに今回は「休憩」とした。それでも「非常勤」時代は東京在住とはいえ、研究学会に行くのは全て”手弁当”であった。更には中高教員時代は、部活動指導・引率などが学会シーズンと重なることも多く、容易には学会に赴くことは難しかった。それからすると「地方在住」として交通費はかかりながらも、学会に行くことを「自己裁量」で選択できるだけ幸せと思うのが妥当なのかもしれない。それにしても交通費と宿泊費は、まったく”バカにならない”のではあるが・・・。

貴重な休日ゆえ、自宅の清掃や更衣に勤しんだ。忙しい日々を支えつつ、清潔さを保つためにこうした”仕込み”は重要である。衣装箱の中身を入れ替え、クローゼットに吊るすシャツも袖が長くなった。清掃というのは時間を費やしただけ、気分が良くなるものだ。最近、さらにそれを実感している。その流れでキッチンの整理整頓まで及び、生活環境が新たに整備された思いを抱いた。その合間に先週の大河ドラマ「真田丸」の再放送を観た。真田源次郎信繁が過去を回想した中で、祖母の言葉を思い出す場面がある。その言葉が、本日の小欄の標題である。先週の本放送を東京で観てかなり感涙したことは既に記したが、再放送でも再度の感涙に至った。幽閉され歴史の表舞台から姿を消し、その生活に埋没しようとしている源次郎を、それまで彼を囲んで生きた人々の言葉が再び奮い立たせるわけである。この「婆婆」の言葉とともに、やはり幼馴染で源次郎を慕い続ける「きり」が、「あなたの生きた証は何なの?今まで何にもしてないじゃない」と迫るシーンには、胸が詰まる思いがする。その感涙はやはり、人生の分岐点で回想をした時に浮かび上がる「己の生き様」を、自分に置き換えて感じるからであろう。

動きのない静観の休日にこそ
己の「いま」が顕に映し出される
「清掃」という自問自答が、明日への道を拓くのである。
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