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新しい朝が来た

2016-10-04
「希望の朝だ♬」
日々変わっていくのが普通
「新しい」とは「希望」を抱くこと

久しくラジオ体操の会場には足を運ぶこともないが、冒頭の「歌」で始まる”国民的”ともいえる体操には様々な思いを抱くことがある。「あのピアノ曲」が始まれば、ほぼ例外なく同じ動きができるという”脅威”の横並び浸透率。ある意味で「日本社会」のあり方を象徴するような、恒例たる夏の朝の”行事”なのである。カードを首からぶる下げて眠い眼をこすりながら会場へ向かうと、町内会の知ったおじさんかおばさんが、出席スタンプを押してくれる。寝坊して休んでいても、その分まで押してくれて、最終日には「皆勤賞」と称して鉛筆とノートが授与された。体操の「見本」を実施するのは、聾唖者であった町内会の人気者のおじさん。彼はその障害をものともせず、愛嬌をいっぱいにふりまき、多くの人々に愛されていた。彼は発声が困難にもかかわらず、冒頭の「ラジオ体操の歌」の際に一生懸命に”口パク”する姿は、子どもながらに僕の胸を打った。あの「昭和」の時代に、このような「ノーマライゼーション」(障害者や高齢者を施設などで隔離することなく、健常者と同じ暮らしをするのを当然とする考え方)が町内会にあったことが、ある意味で驚きでもあった。

そんな「昭和」も過去のものとなった。それなりに様々な人間関係が蠢いていた「町内会」ではあったが、そんな人間臭い繋がりなどどこへ行ってしまったか?「都市開発」などと称して無駄な区画整理などが進み街は破壊され、人々も其処に愛着が持てなくなってしまう。同じような図式が、現在の「豊洲市場」問題にもあるような気がしてならない。「築地」という街であるから成立していた「商売」も多々あったはずだ。だが、そのように愚痴をこぼしても始まらない。時代は動くものであり、日々新しくなっていくのも必然である。松尾芭蕉がそうであったように、古来から詩歌人は「人生は旅」と見なすことが多い。むしろ「いつも変わらぬ」という状態にあれば、水が淀み汚濁する可能性がある。「前向き」な自分を求め続けたとき、人は免疫力も上がり、「希望の朝」を迎え続けることができる。「ラジオ体操の歌」に示された心は、そう語り掛けているのかもしれない。

困難も笑顔で乗り越える
話し合える「人」がいるということ
今日も「変わった自分」で1日を始めたい。
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