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去りゆく9月見送りて

2016-09-30
後期授業も近し
9月は切ない歌多きサザン
駆け抜けた夏の終わりに・・・

サザンオールスターズの曲の季節感としては、その多くが「夏」なのであるが、それだけに「9月」を題材として「夏の恋が終わる」ことを唄う類の曲も多い。もう15年ほども前のことであるが、そうした切ない「夏の終り」の曲を聴いていて、その時の自分自身の境遇に耐えきれなくなったことがあった。「この夏は何だったのだろう?」「いったい自分は何をしているのだろう?」という人間存在の基本的な思考が大きく揺らいだといっても過言ではない状況であった。それゆえに「サザン」は僕にとって「人生の友」であり、自分自身が見えなくなった際の定点観測にもなる、実に豊かな指標でもある。特に今夏は、「いつ休んだのだろう?」と思うほど駆け抜けるように過ごした数ヶ月であった。そんな9月末となって「切なさ」がないわけではないが、それよりはむしろ「駆け抜けられる」充実感の方が優位にある自分の心を、再びサザンの曲を聴きつつ感得したりしている。

サザンの「9月」を題材にした曲が切ないのはやはり、「夏の燃えるような恋が終わる」といったテーマを唄うからである。日本文化的な発想から行くと「季節(四季)」は「人生」に喩えられ、その時間的推移が手に取るようにわかる「1年」の中で見た時に、一番「夏から秋」が切ないと感じるのも人情なのである。燃え盛る時代を終えて衰退へと向かう、熱さから冷めて衰兆が見え始める、といった感覚がこの上なく切ないという感情なのである。だが実は「秋」というのも大変良い季節であることを、その「切なさ」の中にあると忘れがちなのである。夏の太陽が与えてくれた恵みによって、これからが「実り」の季節に他ならない。それだけに「夏」を丁寧に冷静に「精算」しておく必要があるのかもしれない。朝晩の風は確実に涼しくなった。その落ち着いた雰囲気の中で、まさに「哀しみども」をごまかさずに受け止めていく。この日もやはり車の中で「サザン」を聴いていて、そんなことを考えた。

そういえば小欄を開始したのは9月25日
いつの間にか7年が過ぎ8年目に入った
僕にとって何かが始まるのも9月なのかもしれない・・・
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