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己が守れる街に住む

2016-09-27
都会の喧騒を離れる
羽田空港から地方への空路
そこは「己」のペースを守れる街がある

都会の喧騒に紛れると、いつしか早足となり発車ベルが鳴る電車に乗り込もうと躍起になってしまう。電車に乗ればほとんどの人々がスマホに目を落とし、周囲の現実にはほとんど無頓着であるかのような無表情を浮かべている。たくさんの人がいるにもかかわらず、孤独で悲しい表情を浮かべている人も多く、中には顰めっ面で悲壮感を顕にしている人も少なくない。昭和歌謡の名曲の中には、「地方から東京へ来て恋人などの人柄が変質してしまった」といった主題を歌うものも多い。嘗て東北上信越への玄関口であった「上野駅」にて、こうした望郷と都会的喧騒に溺れた人の感情が交錯するのは、既に石川啄木の「ふるさとの訛り懐かし・・・」の短歌に見られるように、多くの「物語」を紡いで来たことだろう。同じように羽田空港の行き先別待合ロビーに行き着いた時、居住している地方の方言を聞くと、なぜかホッとする心境になる。居住して4年目、どうやら僕自身が「己を守れる」と感じている街は、既に東京でないのかもしれない。

急がない、慌てない、そんな街である。信号が変われば焦らず次を待ち、自動車が一機会に右折する台数も東京より2台〜最大3台は少ない。公共交通機関は不便であり、商業施設も豊富に揃っているわけではない。新幹線の計画も程遠く、中心的地方都市までもそれなりに時間を要する。だがしかし、その隔絶的な感覚がむしろ、現代社会が見失ったものを確実に「棲息」させているように思う。食料自給率の高さとともに質の良い食材が豊富であり、出会う人々の多くが穏やかな表情をしている。無為に時間に追われることもなく、緩やかな時間が自然に流れている。以前にも小欄で紹介したが、「通勤時間」は日本一短く平均17分だと云うのだ。まさに「人間的」に生きられる街であり、都会では失われた人情も深く息づいている。この日も、やや疲労感の残る身体のために、ジムで通例のスタジオプログラムは避けて、ランニングマシンで「歩いて」みた。多くの顔馴染みの会員さんが、そんなマイペースに寛容な感覚があるのが嬉しい。

都会の喧騒は「人」を壊していないか?
世間での諸々のことを鑑みて真剣にそう思う
生き様によって住む場所を考えることも、重要な人生の選択であろう。
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