わがいのちの沈黙より
2016-09-26
「言葉に信実あれ、わがいのちの沈黙より滴り落つる短きことばに」(若山牧水『みなかみ』より)
牧水若き日の帰郷時代の歌から
概ね月1回は、宮崎と東京を行き来している。東京はまさに僕自身の「故郷」であるが、これほどの頻繁さがむしろあまり「帰郷」という感慨を催すことなく、比較的あっさりと往還しているような気がする。東京へ向かう目的は、ほとんどが研究学会であり、真の意味で「帰郷」を意図したことは少ないからかもしれない。それでも尚、今回のように墓参に訪れたり、実家のある街を違った角度から眺めてみると、やはり「帰郷」したという念が心の中で頭を擡げる。実家に暮らす両親とも、むしろ東京に在住時よりも会食をしたり電話をする機会が多くなった。「いつでも」と安易に考えていた、過去の己の薄情さを省みたりもする。地方在住という僕の自分史のあらたな局面が、より一層「故郷」への意識を強くしているのだろう。
研究学会に出席している自分を、客観的に省みることも多い。今回のように発表があるわけでもなく、司会の担当を仰せつかっているわけでもない折は尚更だ。せいぜい懇親会で、全国でも「遠いところから学会に参加した人」という括りで、挨拶の言葉を述べることぐらい。発表に対して質問したい事項がないわけではなかったが、むしろ沈思黙考こそがいますべきことという気分で、研究発表から総会までを聴き尽くした。10本が設定された各発表を聴き、己の研究との連接点や研究方法にプレゼン方法の相違などに対して、客観的な分析を加える。総会などで次期の予定が公表されると、このあたりで発表をしようかなどと構想が浮かび始める。このように、やはり「研究」こそが僕自身の「生き様」であり、時にこのような「沈黙」があることで、心が洗い清められるような気もする。
そしてまた広く明るい世間を見つめ直そう!
「そうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、
四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い」(牧水『みなかみ』より)
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