野分のまたの日こそ
2016-09-21
「野の草を分けて吹き通る風」の意「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」(枕草子)
立春から二百十日、二百二十日前後に吹く暴風のこと。
台風上陸通過の不安な一夜が明け、また朝が来た。宮崎県では概ね日の出時刻には、台風本体の雨雲も東に抜け、雲間から薄日も差し始めるようであった。だがしかし、県内では浸水被害が深刻で、広く町が冠水してしまった地域もあった。県内市内の多くの小中学校は、既に先週末の段階で休校を決定しており、僕の教育実習視察の日程も順延となった。さて、冒頭に記したように古典では「台風」の暴風のことを「野分」といった。まさに「野の草を分ける」からである。暴風が吹き荒れた一夜の後に、僕も自宅周辺の点検に入った。まずは小欄執筆をしている二階の書斎の雨戸を解放すると庭が見えるのだが、そこにあるスチール製の倉庫の戸が外れて、中にあった物が外に散乱し、倉庫自体が歪むように右斜めに傾いている。この様子には聊か驚きを隠せなかった。
家の外塀に沿っては、かなりの落ち葉などが散乱している。それがまた側溝を塞ぎ、水の流れを阻害する可能性があるので、早速にその多くを掃いて集めた。さらには側溝の蓋の穴部分が土や苔で塞がれているのも気になり、しばしその穴を開放する作業。昨夜の冠水状態を見るに、まずは一軒一軒が自宅前を整備するのも義務ではないかと思ったゆえの行動である。ゴミ出しをするとお隣の奥様と町会長さんが、何やら話をしている。何となくその会話に近づき、情報を共有させてもらった。この住宅街は造成時に、なるべく自宅周辺に草木を植えようという合意があって、それで多くの家が樹木を豊かに植えているのだと云う。僕の家も前の家主さんが、綺麗に一つ葉の小柴垣や玄関脇には植木を造園していた。僕自身もなかなか日常的にその植木を手入れする暇もなく、植木屋さんに年2回ほど委託して剪定を行っている。どうやら町全体でも、居住者が高齢化し植木の手入れがままならない家が増えて来たのだと云う。まさに小さなコニュニティーの中でも高齢化社会の余波が確実に迫っているということ。県全体でも若返りのために移住者誘致を働きかけているが、地方社会にとってこうした日常は、今後の大きな課題であろう。
「いみじうあはれにをかしけれ」とはいかず
清掃や事後処理に半日を要した
だがしかし、住む場所への思い遣りが持てる心こそ「あはれにをかしけれ」なのだろう。
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