「牧水祭」「なりきり牧水」に参加して

2016-09-18
10日間ほど髭を蓄えた
9月17日若山牧水の命日にて「牧水祭」挙行
そして「あくがれて牧水実行委員会」主催イベントへ

教育実習中は附属学校に頻繁に視察等に訪れ、諸先生方に挨拶をする機会も多かったが、10日間ほどに及び髭を蓄えてきた。それもすべてはこの日の「なりきり牧水」に参加するためである。附属校の校長先生や親しい先生方には、その趣旨を話してご了解をいただく配慮もしていた。やはり日本社会では髭を禁止する球団があるように(実はMLBでもあるのだが)、特に教育現場ではこうした外見にも気を遣いがちだ。歌人・若山牧水の肖像写真を何枚も見るに、その多くが口髭か、それに加えて顎髭を蓄えている。着物に杖・竹筒・地下足袋に山高帽、旅の歌人の牧水が好んだスタイルである。それらのアイテムを貸与してくれて、牧水の生まれ故郷・宮崎県日向市東郷町坪谷周辺を散策する企画が「なりきり牧水」である。市の観光協会も協賛し、町興しの企画として今年が10年目になるという。牧水記念館に隣接した銅像前で写真撮影し、生家や歌碑、そして彼岸花や柿園など、坪谷の豊かな自然を存分に堪能できる散策となった。夜も牧水公園内にて野外での宴会、そして「夜なべ談義」と称し牧水が愛した酒を集まった方々と十分に味わいつつ、牧水について、そしてまた日向市という地域について、様々な方面の方々と語り合う時間を持った。牧水公園内のコテージに宿泊したが、常に傍を流れる坪谷川のせせらぎの音が、心を癒してくれるという自然豊かな環境であった。

「なりきり」の話題を先に述べたが、17日「牧水祭」では、短歌朗詠に続き牧水生家の前にある歌碑への献酒によって歌人の魂を偲んだ。祖父の代からの医師の家に生まれた牧水であったが、医師は目指さず文学に目覚め短歌の道を貫徹し43歳で夭逝。だが医師としての道を歩んでいたら、没後88年が経過した今日、これだけ多くの人が命日に酒を献じてくれたであろうか、などと人生の歩み方の妙に思いを致した。歌碑に刻まれた歌の文字ひとつ一つが、牧水の生き様そのもので、その文字に酒が滴り落ちるのを見ると、牧水の魂に触れ合えたような感覚を抱いた。牧水の生家がある場所は、その面前の道路に沿って川が流れるが、其処で急に湾曲の度が激しくなる。よって川音も他の場所より大きく響く。乳幼児期から幼少期・少年期においてこの家で育った牧水は、常にこの川の音を聞いて育った筈である、牧水の歌に朗誦性が強いのは、もしかするとこの自然のリズムが身体化されているのかもしれない。そしてまた、この坪谷という土地そのものが「胎盤」のように作用して人の感性を養う力があるように僕には思えた。山の樹木と川の水の融合から、鳥や虫や花々たちが豊かに育つ環境。東京へ赴いてからの牧水は、母への思いとともにこの坪谷の生家の環境そのものを「母」なるものとして回想していたことだろう。この感性を身体的に味わうことなくして、牧水の歌の深い境地は読み取れないのではと感じ入る時間となった。

「ふるさとは山のおくなる山なりきうら若き母の乳にすがりき」
「日向の国むらたつ山のひと山に住む母恋し秋晴れの日や」
「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきており」
(牧水・故郷の歌三首)

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