「本気」で伝える声の力ー実習最終日の感激
2016-09-17
教科書を読む声とは大違いそれは伝えたい具体的な相手がいるから
教育実習「お別れの会」での涙に思う・・・
担当している附属小学校での教育実習が最終日を迎えた。朝一番から教職員との「お別れ式」に出席し、「学部引率教員」として挨拶。3週間の学部3年生の奮闘を讃えるとともに、今後への激励と展望を伝え、全教職員の先生方の厳しくも温かい指導に対して謝辞を述べた。先日、小欄でも紹介した牧水の歌「眼をあげよもの思ふなかれ秋ぞ立ついざみづからを新しくせよ」を紹介すると、学生たちの「眼」が「あがった」。式終了後に国語専攻の学生の一人が、「今の私たちにぴったりの歌ですね」と感想を寄せてくれた。最近は、折あるごとのスピーチには必ず短歌一首を紹介している。やはり短歌は集約的に人の心情を表現したものなので、他の言葉よりも共感性が高いように思う。それでも尚、プリントに文字で書かれた歌では、十分に相手に伝わらないこともある。やはり生声で歌のよさを噛み締めながら、「本気」でその歌を伝えたいと思って「声」に出すべきであろう。牧水の歌は元来「声」の要素が強く、朗誦性に富んでいるので尚更効果的である。
1校時目は体育館に全校児童が集まって「実習生とのお別れの会」が催された。代表の児童が司会進行をして、和やかな雰囲気の中で会が始まった。児童と実習生がともに参加する寸劇やクイズなど、思わず笑いが出るような出し物が披露されて、体育館内は熱気で溢れた。その最後に各学年の児童が全員で立ち上がり、学年担当の実習生の名前を一人一人呼びながら、その特徴や思い出を語る「群読」のような場面があった。3週間という期間の中で、実習生が結んだ児童との信頼関係、それが一つ一つの「ことば」となって表現された。聞いていると思わず僕などでも涙を誘うような内容もある。名前を呼ばれた実習生が一人ずつ立ち上がって応えていくのだが、僕は遠目ながら、たぶん多くの者が感涙に耽っていたことだろう。内容はもとより、その児童たちが「本気」で「伝える声」が、誠に訴えかけるものすごい力を持っていることに感心した。やはり「ことば」は、伝えたい具体的な相手に対して生声で「本気」で伝えることで、初めて「生きた」ものとなるのであろう。教科書の「音読」が無味乾燥な理由を、裏面から覗き見た思いがした。
かくして学部3年生の小学校での実習が終わった。
僕は感涙の裏に、ある種の羨ましさを覚えた。
「こんな実習がしたかった」、そして「学校って本当に素晴らしい」を確信したゆえに・・・
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