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「万全」であるということ

2016-09-15
時間を多くかけること?
どこまでやっておいたらよいのか?
「万全」について考える・・・

学部3年生の附属学校での3週間に及ぶ教育実習も、大詰めを迎えている。昨日は「一斉指導」ということで、学部指導教員が当該学生の授業を視察する日であった。実習全体の担当者ということもあり、朝一番で附属小学校への出向き、午前中はゼミの学生の授業、または国語講座の学生の授業を視察して廻った。授業の細部な内容の紹介を記すのは、ここでは控えるが、総合的に視察していて、「万全」とはどうしたらよいのか?ということを考えさせられた。学生たちは、いずれも十分な準備を進めて授業に臨んでいる筈だ。もちろん、「万全を期して」という成句で表現できる状態になっているとは思う。だがしかし、「授業」というのはやはり「ライブ性」を伴うものであると僕は思っている。学び手との対話関係がそれまでの期間で、どの程度に醸成されているかという点は、とても大きな影響を及ぼすものだ。

学習指導案が「机上」でどの程度に練られているか?その緻密さや起こる得る事態への予測を施しておくことも、誠に大切である。そして授業中に使用する「教具」の準備をする。特に小学校の場合は、黒板に貼りつけるカードや模造紙に記した本文など、「教具」の工夫がとても重要である。また、これまでの実習期間で学級の児童たちと、どれほどの親和関係を結んでいるかということも肝要である。「机上」の指導案が「授業」なのではなく、学習者とともに学びを創ってこそ「万全」な備えということになろう。そのためには、「付け焼刃」ではなく日常からの教材研究を起点としつつ、対話を醸成できる「人間性」を養っておくことが大切だと改めて感じるのである。あくまで指導者である「教師」視点の「準備」のみに加えて、日常生活そのものが「ライブ」たる授業には表出するのである。

「万全」に「万全」はない
常に人と人とが学び合い・響き合う〈教室〉を求めて
総合的な「人間性」を追い求め続ける姿勢こそ尊いということだろう。
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