「調子の乗る」ってなんだろう?

2016-09-14
「調子の乗る」と言われたら
多くはやや否定的な趣旨を含む
突き進む力・抑制する冷静さ・・・

「調子に乗っている」とか「お調子者」といえば、概ね否定的な評ということになろう。傍目から見て「やり過ぎ」であるとか、その場その場に合わせて掌を返したような態度をとることを意味する。だがたぶん、このような場合、当該者は「調子に乗っている」ことや「調子がいい」ことに自覚的ではない。敢えて戦略的に「調子よく」対応しているしたたかな人物もいないわけではないが、多くは第三者にとって”そのように見える”ということになろう。親友ご夫妻と話していて、「調子に乗っている」とは何なのか?とふと考えてみた。

先頃亡くなった鶴見俊輔さんのことばに次のようなものがある。「山の頂上に自分がたったと仮定してそこからながめてゆくのではなく、山の裾野の自分の出会った一点から考えてゆく。(『限界芸術論』著者自身の解説より)」人生は山あり溪あり、良いこともあれば悪いこともある。だが、いずれの場合でも「山の頂上」に自分が立ったという姿勢ではなく、「裾野の自分の出会った一点」に視座を置くということが肝要であると説いている。「調子に乗る」とついつい「山の頂上」から見下してものを言ってしまう場合がある。繰り返すが、その「頂上」にいることに対して当該者はなかなか自覚的にはなれない。「小高い小さな山」ならば尚更であるが、その程度のことで否定的な評を受けるのは、まったく大きな損失に他ならない。いつも「裾野の自分の出会った一点」を忘れないようにしたいものである。

重い荷を背負ひて山路を登るがごとし
想像的な視座としての「裾野」を常に意識する
この社会をどう生き抜くべきか?親友ご夫妻との話から気づくことは多い。
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