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眼を上げよ・・・2500回更新の先へ

2016-09-12
「眼を上げよもの思ふなかれ秋ぞ立ついざみづからを新しくせよ」
(若山牧水の明治44年初秋の歌より)
小欄2500回目の更新にて

本日の記事で、小欄更新が2500回の節目を迎えた。当初はここまで続けるとか、様々な方向へ展開するなど、何も考えずに始めたのだが、今や生活習慣の一部になってしまい、自然と毎日書かずにはいられなくなってしまった。義務感や強制感など自分の中には、まったく見当たらない。ただ朝起きた時に、心を空にして何が残っているのか?ただそれを文章に綴っているに過ぎない。むしろ小欄を書き記すために、毎朝の行動が規則的になり、早起きの習慣も定着したという実益をもたらしたとも言えるであろう。出張先や旅行中、また国内外を問わず、いわば条件に左右されることなく、己の朝に己の文章表現があるといってよい。そしてまた朝書いた己の文章を、一日のうちどこかで読み返すことも履行している。そこには前日の己の姿が、様々な趣旨を伴いながら起ち上がっており、客観的な眼で自己を省みることができるのも大きな効用である。

昨日は「心の花」宮崎歌会であった。ちょうど歌会に定期的に出席するようになって1年となる。毎度出詠している己の歌は、表現上も未熟でなかなか納得した作には至らない。小欄を記すような意欲と習慣化の上で、歌が詠めたらどんなにかよいだろうと考えることもある。作ろうとして作るのではなく、生活の中に歌を詠む行為がある。そしてまた同時に他者の「歌を読む」機会があり、最終的に自己の歌が読めるようになること。どうやら小欄を記す行動原理と同じことが、「歌」の上でもできるようになればよいのだろう。何かを為さんとすれば、行動が変わり生活そのものが変化する。小欄を始めた当時の己と今の己では、2013年を境に大きく変化した。振り返りますれば、小欄当初の3年間は、生活に大きな変革をもたらしたと言えるだろう。冒頭に掲げた歌は、地元宮崎日日新聞9月10日付「歌の窓」欄に掲載の牧水の一首。「もの思うなかれ」は「くよくよともの思いにふけるのはもうやめなさい。」と牧水自身が己に「呼びかけた」と解釈されている。

朝晩に秋の気配
一年で一番好きな季節がやって来た
「いざみづからを新しくせよ」つまりそれが「更新」なのである。
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