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メディアと身体性

2016-09-02
ことばに宿る「情感」
他者に伝わる表現として
人として持つメディア性について実践的に考える

集中講義4日目。国語教育におけるメディア活用について、様々な角度から考えてきたが、やはり国語教師そのものが持つ「メディア」としての力を考えてみるのがこの日の課題。人間が素な状態で声や表情などを駆使すれば、どれほど効果的に他者に伝達することができるのだろうかということ。やはり「授業」というのは、その大半が「教師のメディア性」に依存しているのではないかとさえ思う。反対にソーシャルメディアがこれほど進化し続ける時代において、教師が人として豊かな伝達や受容ができなければ、その価値が失われるということでもある。メディアの力を借りるのではなく、教師自身の表現力と対話力が問われている。この日は、宮崎の群読劇でもお世話になった下舘あいさんと下舘直樹さん御夫妻を特別講師としてお招きした。役者としての表現力と楽器の奏でる伝達力を体感してもらうと同時に、人間性豊かな体験を学生たちに提供したかった。あいさんに掲げていただいたテーマは「1モデルとしての自分の想像力を届ける」というものであり、「ことばに情感をのせる」ことを目的にして、この日のプログラムは進行した。

まずはお二人による絵本語りをライブで鑑賞する。読み語る声と弦の音の交響を体感することで、学生たちの中に何が生まれるであろうか。声の力とともに楽器も語ることができるということを経験してもらいたく、言葉のない絵本をギター1本で語り出す作品も僕のリクエストでお願いした。複雑に多様なデジタル化されているメディアが溢れる世の中で、素朴な声と弦の響きがまさに「情感」を運ぶ。その後、『物語のある広告コピー』という書物にあるコピーを、学生ごとに違うものが配布され、内容を確かめた上で音読してみる。「広告コピー」というものそのものが、存在意義を賭けて厳選されたことばであるからだろうか、初見で学生たちが音読する表現そのものは棒読みには聞こえず、それなりの説得力を備えている。「広告」の物語性については前日の学生たちの発表においてもCM動画から何らかを考える展開という発表もあったので、「ことば」の表現力を考える意味で、大変有効な機会となった。その後、発声や身体伝達のワークを行い、最後に2人1組による絵本語りの発表という流れになった。あいさんがテーマとした「情感」とは、「感情」との意味の境界線が曖昧である。漢語としての用例を概観すれば「喜怒哀楽」を示し、ほぼ「感情」と同義であると『日本国語大辞典第二版』の項目2にもある。項目1には、「感動すること。感心すること。」とあり平安朝漢詩文の用例や『十訓抄』の用例が見える。元来は「己の心が動いたこと。」を表現する漢語であり、「情感をのせる」となれば自己の「感動を伝える」ことと同義ということになるだろう。情報検索や資料解読などの面が強調されてくる中で、「国語」において「感動を届ける」学びが不可欠であることを再考させられる。詩歌はもちろん物語・小説とは「心が動く」ものに他ならない。そして本当に作品に心を動かすためには、世界でいまここにしかない個々の声に「情感をのせる」という素朴な行為でしか成されないのではないかという思いを新たにした。「朗読」そのものを目的にした講義ではなかったこともあって、学生たちの素朴な絵本語りに、新たな発見を覚える時間となった。

メディアに呑み込まれた人間
己の心の動きを素直に伝達するということ。
お二人の力を借りて、また新たな境地の入口が見えたような気がした。
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