デジタル教科書への幻想
2016-08-31
写真・ワーク資料の利用訳の提示や暗唱補助教材に音声と動画
デジタル教科書の有効性と誤解と・・・
集中講義2日目。観測史上稀に見る進路であった台風10号の影響も東京地方ではほとんどなく、通常通りの講義をすることができた。この日は、デジタル教科書についての理解を深める内容。ICTの教育への導入が推進される中、タブレット端末などを介して使用するデジタル教科書が登場してきている。電子書籍の普及が進む中、教科書も紙から電子へという流れが進んでいる。だが、まずは地方自治体レベルで大掛かりな予算がなければ簡単には導入できず、全国的な普及率はそれほど高いわけではない。佐賀県などは県を上げて推進に前向きな動きを見せており、今後もその成果報告が期待されるところである。だが、ただタブレットなどの端末と教科書ソフトがあればよろしいというわけではなく、校舎教室のWeb環境などを含めた整備を実行する必要性がありそうだ。そうなるとただでさえ基本的な教育予算が十分でないこの国の現状では、4〜5年単位で普及率を上げようなどという目標は、”絵に描いた餅”に他ならない。予算的なことを念頭におくならば、まずは「電子」よりも「人」へではないだろうか。1学級あたりの児童数・生徒数を考えても、教育予算は世界的に見て恥ずかしいほどの次元であることを、まずは念頭に置くべきであろう。
デジタル教科書を使用すると何が変わるのか?時折、その「デジタル」という響きに巻き込まれるのか、大きな万能感を抱いて捉えている方々がいる。いわば、かなりのことが”オートマチック”に進むような幻想を期待している向きがある。本文に何色もの色線を付したり、図形で囲んだりすること。本文を拡大表示したり振仮名の有無を選択できること。挿絵や解説資料映像が使用できること。本文の朗読音声や、漢詩などの場合は中国語読み音声が利用できること。ワーク類が添付されていて、暗唱や現代語訳・漢字や語彙などを自学自習できること。小説教材などであれば「人物」や「関係」「感情」パーツが示されていて、相関図を作り出すことができること。まだまだ機能はあるが、概ねこのような内容が基本的に使用できることである。ここで肝心なのは、やはり指導者が十分な学習計画と教材研究を施してなければ、「デジタル」たる意味も効用ももたらされないということである。至極当然のことであるが、この捉え方をまずは前提とすべきである。むしろメモする視写するといった「書くこと」に対しては、学習者の怠慢を生み出しかねず、現代語訳などの情報も十分に備わっているので、「考える」授業設定にするかしないかで、学習を安易に考える者とそうでない者との格差が実に大きくなると思われる。この日の学生たちとの議論においても、このような点を多面的に確認することができた。
「本」は何処へ向かうのか?
印刷術の一般化、書籍出版の普及などメディアがもたらした革新
「デジタル」は何をどのように変えていくのか、現在進行中の革新をまだ僕らは知らない。
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