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集中講義始まりました

2016-08-30
「メディアと国語教育」
授業にどのように活用するか
視点を拡げてあらたなる学生たちとの出逢い

3年ぶりに母校で非常勤講師として集中講義を担当することになり、その講義期間が始まった。母校での非常勤はやはり僕の大学教員としてのスタートであり、後輩である受講学生たちとの出逢いがいつも刺激的だ。今回、配当された科目は「授業に活かすマルチメディア」であり、やや自分の専門のど真ん中ではないが、転換を求められている国語教育の未来を考える科目と捉え直して、学生とともに創造的な発見を試みてみようと思っている。抑も「メディア」という概念そのものが多様であり、時代とともにその性格にも変質が生じているように思われる。「マルチメディア」という語彙そのものが一時代前の感も否めず、時代は「ソーシャルメディア」全盛であり、より個人的な範疇でのメディアとの関係性が問われ始めているといってよいだろう。それゆえにむしろ「印刷」などの文字媒介となるものの意義や、国語教員としての身体性そのものなどにも自覚的になるよう、問題意識が高まる講義を目指している。

自己紹介やアピールの際のメディア性にも意識を持つこと。基本情報の紹介に加えて、特徴的な体験をエピソードとして挿入し、自己を印象付ける「物語」を添える。講義というのも出逢いの場であり、まずは受講者同士や担当者が如何に十分な対話のできる環境を築くかが肝要であろう。まずはこうした場を「口語表現」といった「メディア」で伝え合って共有していく。その後は、中高時代の「国語授業」経験の相対化を促すために、その「好悪」について発表し合い相互に質問意見を交わしていく。自己の持っている教育経験というのは絶対化しやすいので、「国語授業」に対する固定観念をほどくことがとても重要な過程である。さらには「国語授業」にメディアが活用されていた経験についての対話。受講者の体験を聞いているとやはり、「文字」中心主義の座学的な解説講義型に終始している授業経験も多く、世相が個別のメディアによって多様な他者と出会っているにもかかわらず、「国語教育」そのものは旧態依然であることを再確認させられる。同時に双方向性の国語授業もそう多くはなく、教師の持つ「正解」へと向かわざるを得ないゆえに、個々の学習者の意見が無視されてしまう授業体験を持つ学生も多かった。もちろん、情報検索を活動的に実践したり、多様な読み方を考え合う授業の体験を持つ幸福な経験を持つ学生もいないわけではない。さてそこで「メディア」をどう活用するか?ICT教育の推進などが喧伝される中で、まさに新時代の「国語授業」を挑戦的に構想するのが明日からの課題である。

20〜30年後に無くなる職業
「教師」は大丈夫なのですか?
胡座をかく時代は遥か彼方へ、教師こそ学び手として創造的であるべきだろう。
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