「心の花」全国大会2016①

2016-08-28
どのような歌か?何を歌い?なぜ歌うか?
自分が何のために生きているかの問い掛け
その人らしさ自分との対話ーおのがじし

入会してちょうど1年ほどになるが、竹柏会「心の花」の全国大会に初参加した。会場は東京でも馴染みのある中野サンプラザ。早々に会場に赴くと、既に中野駅から宮崎歌会の方にお会いした。宮崎歌会には熱心な会員の方も多く、約20名の方々がこの全国大会に参加されている。会場に着いて廊下を歩むとすぐに、主宰者である佐佐木幸綱先生にお会いした。いつもと変わらずダンディな仕草で「よく来たね!」と笑顔で僕を迎えてくれた。学部時代からある意味で僕は幸綱先生の大ファンであるが、それはこうして広く公平に人に接してくれる温かさに惹かれているのだとあらためて実感する。日本文学専修学生研究班の合宿で、駅から宿までをお車でお出迎えした際の車内での貴重な僕の学生時代の経験が、このような形で大学教員たるいまに返って来ているようだ。自由参加である「撰者と語ろう」のコーナーも実に勉強になった。投歌した歌が撰者の先生方にどのように撰ばれているか?その内実が様々な表現で披瀝される。そこでもやはり宮崎歌会でお世話になっている伊藤一彦先生のことばには大変説得力があった。「歌を詠むとは、自分が何のために生きているかに対する問い掛けである」と云う。それを自分なりの感じ方・表現で歌にする。他の撰者の先生方も同様なことを述べていたが、類型にすがったり他人の感性に乗って詠まれた歌では詠んだことにならないということだ。「どのように、何を、そしてなぜ歌うか?」こんな問い掛けを常に自分の中に持つこと。それこそが「心の花」の目指す「おのがじし」の歌ということなのだろう。

午後からいよいよ大会本番、今回のテーマは「歌を読む」ということ。「詠む」ではなく「読む」である。冒頭の挨拶で幸綱先生曰く「例年は心のお祭りをやっているのだが、今年は勉強をすることになった。自分の作ったものを含めて短歌が読めるようになることが、よい歌を詠めるようになる道である。」と。僕自身はむしろ学部時代から古典和歌の「読み」を研究してきたわけであるが、反対にここに来て歌を「詠む」ようになり、歌の解釈の奥深さを再考させられている。歌会が始まると2名の評者の方々が、歌ごとに短時間ながら的確な評を加えていく。まったく知らない人の感性を揺さぶる歌とは如何なるものか?そんな問題意識を持ちながら、その進行に深く耳を傾けていた。物事の捉え方の視点、そしてどんな言葉を選び、どのような構成で韻律に乗った歌を表現するか。「読み解く」ということは、「詠み上げた」段階を遡及することでもある。「解釈」にも思い込みがあってはならないが、同時に「詠歌」にも独善は禁物であるという、「読み」の基本にあらためて気づかされる時間となった。そして無記名で評されている僕の歌に対して、評者の方々の評価は芳しくはなかったが、宮崎の伊藤先生に講評で掬い上げていただいたことには、誠に深い歓びを覚えた。やはり大学の大先輩でもある伊藤一彦先生に宮崎で出逢ったことは、僕にとってかけがえの無い邂逅であったと確信した。

懇親会そして二次会
歌に酒はつきもので、それは出身大学の先生方の流儀でもあった
宮崎でこそ出逢えた「短歌」、この歓びを噛み締める1日となった。
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