故郷と歴史のいま

2016-08-27
4年後の東京五輪
果たしてどのようなことになるのか?
モノレールに山手線の車窓から眺める故郷

宮崎から空路で東京へ。羽田空港に降り立つと、いまだ夏の面影も濃く入道雲が東京湾越しにお出迎え。明らかに南国とは違う空の色が一面を覆っていた。空港のターミナルには「2020TOKYO」の表示が目に入ってくる。この大都市はもう既に、4年後の世界的イベントの開催を責任をもって履行せねばならなくなった。そんなことは以前から決まっているというかもしれないが、実際に2016リオ五輪が終わってみると、その感覚が違って受け止められた。以前から経済はもとよりファションやグルメの拠点としては、世界的に注目を浴びた都市であるのも間違いない。だが五輪という「平和の祭典」が4年後は世界で唯一開催される場として眺めると、明らかに違った風景として東京の街並みが見えた。親友の理容室で散髪をしていると、ドキュメンタリー映画「東京五輪1964」の映像をを流してくれた。僕にとっては記憶のない五輪が開催された折に、首都高速道路や新幹線が整備され羽田空港が世界からの玄関口になった。

リオ五輪の現実と4年後の東京が重なりをもって見えてくる。僕が幼少の頃には、街中に「外国人」がいると特段に注目するほど稀少な存在であったと記憶する。それがいまやかなりの外国人がこの街を闊歩している。僕の中には妙な記憶があって、東京五輪の聖火ランナーかマラソン競技の選手たちが、実家前の路を走っていくという、たぶん誤った記憶が刻まれている。まずは年齢的に記憶が刻まれるはずはないという事実と、実家前の路が聖火ランナーやマラソンコースにはなり得ないということは明らかである。だがしかし、近隣にあった有名私立中高の学生たちが日常的に実家前をランニングする光景が、あまりに印象深かったのであろうか、それと東京五輪の映像が折り重なって、僕の中で虚像の歴史が生成されたようである。地方居住者としてあらためて東京を眺める。大きな荷物を抱えて山手線に乗車し、次第に実家のある駅に近づく。そのなんと言えない郷愁とともに、半世紀という歴史の中にあるこの街のあり方が身に迫ってくる。東京にばかり住み続けていたのではわからない感性が、僕の中に確実に宿っている。

上野・鶯谷・日暮里・西日暮里
駒込・巣鴨・大塚・池袋
あと4年で「TOKYO」はどんな変貌を遂げるのであろうか?
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