いつまでも初体験の夏がゆく
2016-08-26
地域とつくる初企画そして短歌とともに歩む日々
初体験の夏がゆく・・・
小・中学生であれば、さすがにそろそろ宿題が気になりだす頃であろうか。振り返りますれば、僕も夏休み中に計画的に宿題を進めた記憶などはなく、ほぼ最後の3日間ででっち上げていた。こういう輩が「教師」になってはいけないなどと、肩肘張って語るほどのことでもあるまい。確かオーストラリアあたりの教育観であったか、夏休みこそ宿題などやっていないで冒険的体験をすべきだという趣旨の話を聞いたことがある。確かに「宿題」と出会って、豊かな人間性が育まれるのか?僕の記憶であれば、せいぜいその最後の3日間で書きたくて書いた『おやじ対子ども』という確か岩波新書の感想文によって、高校のコンクールで賞をもらったことぐらいである。「書きたくて書いた」という主体性・能動性とともに、自己の表現が他者を説得するという力に僕自身が目覚めた経験であった。同時にその本の内容から、親子関係に一つの道筋が得られた貴重な経験ともなった。やはり知識注入よりも体験が、新たな自分を起動する原点となる。
こうした意味では、今夏も僕自身は多くの「体験」をした。「地域とつくる群読劇」に始まり、諸講習では多くの現場の先生方との出逢いがあった。またオープンキャンパスでは、希望に目を輝かせる高校生たちの爽やかさに触れてみたり、自宅からそう遠くもない青島という地の、夏にしか味わえない活気も初体験することができた。既に産直市場には秋の味覚が並び、耳を澄ませば虫の音も喧しくなり始めている。暑く「熱い」夏に経験したことを、じっくりと沈着させて自分の”もの”にする時期が来た。そういえば現職教員として新卒から10年が過ぎようとしていた頃、夏の終わりになると言葉にならない「むなしさ」に襲われて、どうにもならなくなったことが思い出される。「一夏の自己を確かめられる経験」がなかったからであろう。その空虚さが、再び僕を研究の道に導いた。そして夏といえば大学院生として『平安朝文学研究』たる雑誌の論文執筆に明け暮れ、〆切までに投稿する日々となったことも、今では懐かしい思い出だ。こうして回想すると再び論文に向かう情熱が湧き上がるが、まだ今夏の初体験が待っている。明日から「心の花」全国大会への参加である。
動機付けに自己の内なる課題意識
体験したら個人思考で必ず表現にしてみること
小欄を書く動機にも通ずるが、何歳になっても人生の初体験に出逢い続けたいものである。
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