地方における身近なメディア
2016-08-17
新聞記事への掲載も3回目タウン誌掲載で多方面の方に声を掛けられ
そしてまた地方局アナウンサーの方々との交流も
今月6日・7日に開催した群読劇「星の王子さま」に関する記事が、地元紙・宮崎日日新聞「くらし」欄(8月15日付)に掲載された。「『声』の力広めたい 群読劇で表現方法培う」の見出しで、ほぼ僕が考えていた趣旨をことばに表現してくれており、誠にありがたい限りであった。東京でも「朗読会」を開いてはいたが、なかなかメディア関係から取材を受けることはなかった。また非常勤講師をしていた大学が、やはり公募制群読劇「銀河鉄道の夜」を開催していたが、内部に入るまではその存在すら知らなかった。このような意味で、地方の人口密度・メディアとの関係性というのは、実に親密で嬉しい近さがそこにある。今回は開催前に、情報誌『タウン宮崎』にも「イベント情報」として僕の写真入りで(前年度の群読劇の写真がないので主催者の肖像ということになった)掲載されたが、スポーツジムなどに行くと何人もの方々から、「出て(掲載されて)いましたね!」とか「見ましたよ!」といった声を掛けていただいた。それは本当にこの「タウン」に居住し活動していることに歓びを覚え、住民たる自覚を持つ格好の機会であったと振り返ることができる。
2日間の休養を経て研究室に行くと、幾つかのメールが届いていた。(仕事メールは休養中には開封しなかった)中でも地元ラジオ局のアナウンサーの方からのメールでは、先日の群読劇を観覧いただいた感想とラジオ番組の案内が記されており、ご丁寧な内容に頭が下がる思いであった。またそこには、「ラジオ」における「朗読」の可能性とか、若者と「ラジオ」というメディアとの関係性について言及されており、実に興味深い内容であった。世間はスマホ全盛の時代、中学生、いやともすると小学生でも所持している場合もあり、幼児期から親のスマホを”操作もどき”で遊ぶ子どもたちも少なくない。場合によると、親が幼児をあやすために”タブレット”を与えて動画を見せておくなどという「親子関係」さえ、珍しいものではなくなってきた。これに比して僕らの時代は、中学生頃からラジオというメディアを通して「音楽」やら「青春」やら「恋愛」やら「人生」やらに、その囁き掛ける「声」によって目覚めていったという思い出がある。「チンペイさん」こと谷村新司さんの、深夜に響く重厚な語り口によって、「青春のほろ苦さ」を悟り前進する糧にしていたような気がする。世代間で感性に格差があるとしたら、こんな「聴く力」の差は現代を生きる中学生と顕然たる差があるに違いない。だが、同時に僕たちが持っていない「力」を現在の中学生は持っている。メディアが多様化した現代だからこそ、「声の力」を見つめ直すことも貴重なのではないかと、新たな思いに浸るひと時であった。
ラジオで何ができるだろう?
また新たな野望が蠢き始めた
人との繋がりを大切に開拓を続けることを「志」と呼んだのは、坂本龍馬であった。
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