「演劇」を閉塞した〈教室〉へ(群読劇稽古3日目)

2016-08-02
「キノコだ!」
物語文脈の中で読む「朗読」に冷ややかな目
〈教室〉が抱え込んだ暗躍たる闇の正体は・・・

群読劇「星の王子さま」稽古3日目。平日となり夕刻より3時間ほどの限られた時間内で最大限の効果を目指して稽古が進む。今回、宮崎県立芸術劇場演劇ディレクターの立山ひろみさんに脚本・演出を手掛けていただいている。事前の打ち合わせでお会いした時から、彼女の作品への情熱と広範な分野への造詣の深さには、敬服に価する学びの連続である。稽古に入っても、初日2日目で「奇跡的」ともいえるほどに出演者の個性と能力を引き出し、作品そのものも表現としての均衡とともに深い原作の把握とユーモアに満ち溢れたものとなり、シーンごとに見ていて大変面白い。その上で、「群読(朗読)」だからという視点を基礎に据えてブレることなく、誠に僕自身がこれまで考えていた音声表現という域を、どこまでも開拓し尽くしていくような野望に満ちた感慨を覚えている。このようなある意味で「異業種」の交流を通してこそ、初めて見えてくるものがあるものだ。

平田オリザ氏が従来から指摘しているように、日本の教育の中には「演劇的要素」の影が薄い。近代化の中での「演劇」そのものが置かれた立ち位置にも、その要因があると平田氏は指摘する。欧州での「演劇」が「芸術」の一領域として確固たる位置があるのに対して、「偏見」ともいえるような眼差しが日本ではあると云う。それは日本の〈教室〉という場で「朗読」をした場合に、まさに「演劇的」に読んだ者に対する周囲の反応が冷ややかであるという「空気」に端的に顕れている。そしてまた指導者たる教師も「演劇」への理解が浅い。そうした悪循環の中で〈教室〉での「音読・朗読」は、肩身の狭い思いをしながら棲息していた。学習者も指導者も、何らかの機会に「演劇」を理にあらず体験する必要が求められているはずだ。このような理由で、教員養成の学びを深める教育学部と芸術劇場が手を携えたこの企画の価値が見出せる。立山ひろみさんから学んだことを、教育現場の常識を覆す方法として還元していくことが、僕が担った大きな仕事なのであると志をあらたにするのである。

具体的な「演劇的」学びはまた後日紹介しよう
閉塞を打ち破るには感性豊かな表現を求め続け、
思案するばかりでなく行動することしか突破口ない。
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