今こそ、メディア・リテラシーと国語教育

2016-07-28
マス・メディアの凋落
僕たちはどの情報を如何に読み取ればよいのか?
そしてまた、如何にして表現していけばよいのだろう?

3.11以後、メディアの質に注目が集まったゆえに、その凋落が囁かれるようにもなった。果たして信用に値する情報は何処にあるのか?残念ながらこうした問題意識が高まったはずであるが、何らかの影響があってか、年々メディアは閉塞的にその信頼性を失っている。例えば、再び我がくにでも理解に苦しむ凶行が起こってしまったが、繰り返し手を変え品を変え表示される容疑者の写真ばかりが喧伝される事態には、もう目を閉じざるをえない報道品位の低下を感じざるを得ない。問題は、この事件が「ヘイトクライム(人種・肌色・民族・宗教・性別・性的志向・身体障害に対する偏見や差別が原因とされる犯罪)イミダス2016より」であるということを、僕たち一人ひとりが真摯に熟考することであろう。前期最後の講義となったこの日、「メディア・リテラシーと国語科教育」と題して、学生たちが対話して考える内容を実践した。以下、その情報提供資料を示しておく。

1、メディアとは何か?=有形無形のメッセージを伝える媒介

2、「メディアリテラシー」の定義
=「メディアが形作る『現実』を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力」

3、(その1)情報送信者の作る「現実」 → 解釈過程 → 情報受信者の作る「現実」

4、(その2)我々は「事実」をそのまま伝えることはできない
   → 政治的・経済的・社会的バイアスの介在

5、(その3)Webを介すれば、誰もが全世界に情報を発信できる社会
       → あなたの投稿が、世界という〈教室〉の黒板に書かれているようなもの。

6、参考文献:『メディアに心を蝕まれる子どもたち』有田芳生著(角川SSC新書2008)

7、子どもたちへのメディアの悪影響
  CM・広告の影響
  テレビ・ゲーム・スマホ漬けの子どもたち
  3歳児の視聴時間=週30時間
   多様なメディアの普及により、
  共同体活動やスポーツチームのような団体行動への参加率が低下。

8、日本の現状は
  理解に苦しむ理由なき犯行の増加
 「五木の子守唄」のような悲哀感の漂う曲を、嫌がりむず痒く感じる子どもたちの増加
  世代を越えて共有されてきた「悲哀感」に触れることなく、
  悲しみの感情を知らずに育つと、他人の心の痛みも分からず、
  攻撃と自傷しかなくなる。それも近年の少年犯罪の一つの原因では・・・(有田氏前掲書)


「メディア」とは、「報道」ばかりに限ったものではない。今あなたが着用しているロゴ入りの衣服も、「有形無形のメッセージ」を伝えている。そして内輪話のごとく、SNSに書き込まれる罵詈雑言であっても、公的な立場にあなたが立たされた時に、その向き合う対象となる側の人々は、検索を駆使すれば容易にその内実を知ることができる。よく米国の友人が僕に告げることには、「米国ではリクルートの際に、当該者のSNSを閲覧するのは常識となっている。」と忠告する。どうも日本の学生は、批評的意識の欠如が目立ち、幼稚で社会性のない「書き込み」が、後に自分の実利に跳ね返ってくることに無頓着過ぎるのである。

メディアが形作る「現実」
最近は母などにも、それを批判的に読み解くべきと僕は電話で語っている。
教員志望の学生たれば、あらためて熟考してほしい問題意識である。

(*講義を対話活動型で実践しているため、「スクリーンに提示する資料のメモが十分にできない」というご意見を、この日の「授業に対する意見・要望」で得たので、早速、小欄を利用して情報公開を実施したことを付記しておく。)
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