本当にやりたい夢を求め続けて
2016-07-24
若かりし頃に抱いた夢いまどれほど近づいているのだろうか?
いついつまでも夢を追い続けることの大切さを噛み締めて
小学校の頃であっただろうか、建築関係の会社を営んでいた父が、ある建物の完成予想図を描いていたことがあった。それを見て何を思ったか、僕も画用紙に両親が経営する会社が立派な「建築センター」を建てるという想定で完成予想図を描いた覚えがある。小学校の卒業文集にある「あんたの将来なんなのさ」(当時流行したダウンタウンブギウギバンドの「あんたあの娘の何なのさ」のパロディ)のコーナーには、「建築屋のおやじ」と記されている。たぶん漠然と僕は両親の会社を発展的に引き継ぐのではと考えていた節がある。だが、中学校に上がって野球に夢中になると誰しもが抱く「野球選手」などという幻想の陰で、心のどこかで「文学」とか「教育」への興味が湧き始めた。詩歌の響きの素晴らしさ、そして知らないことを知ることのできる「授業」という時間の面白さ、名文を「音読」することのワクワク感など、僕の中にあった素地が、両親の家業を世襲する意志を超えて起動し始めた。さらに遡れば、こうした素地が形成されたのは幼稚園の頃から、絵本が好きで独りでもいくらでも本を読んでいたという体験があるのだと思い返される。「詩歌(文学)」と「音読・朗読」というのは、やはり僕の夢の根源的な要素なのだと思われる。それがあるゆえに、これまで僕は聊か欲張りに生きてきたと自覚すると同時に、今もこれからも更に欲張りに生きていきたいという意欲が存分に湧き出してくるのである。
生業と目指す夢が一致することは、誠に幸せなことだ。MLB3000安打を目前にしたイチローは、「好きなことを仕事にしているのだから(決して言い訳や妥協はできない)」といった趣旨のことを口にしたことがある。そういう意味では、諸々の紆余曲折がありながら「今現在」の生業を得られた僕も、「言い訳や妥協」は許されないのだと思う。それでも尚、常に考えているのは「夢」とはあくまで一本道ではないということ。僕の場合は、中学生の頃に描いた「野球」に対する夢を、初任で勤務した学校で教師として「甲子園優勝」という形で叶えることができたという思い出がある。また大学の時に聊か抱いた「アナウンサー」という夢を、「朗読」をすることで叶え、また人を笑わせるような面白い話をしたいという夢を「落語」をすることで叶えている。そしてまた、「短歌を詠む」という大学時代から心に引っ掛かりながら踏み出せなかった「夢」に、今また挑戦している。こうした多様でありながらどこかで繋がる夢も叶えながら、「詩歌」を中心とする研究という太い幹を如何に伸ばしていくかが、今も今後も問われていくだろう。この日は、あるシンガソングライターと久しぶりに再会した。彼女もまた、僕と似通った経験があり、今もOLをしつつ様々な場で華麗な歌声を響かせている。「歌うのが好き」という根幹は決してブレることなく、人生を楽しんで生きる姿に、僕自身もあらためて励まされた。そしてまた、こうした縁を繋いでくれているお店のオーナーもまた、素晴らしき人々の笑顔に囲まれて、自らの夢を今も築き続けている。こうした人々に接することで、あらためて自分とは何かを見つめ直すことができるのである。
睡眠時に見る夢は儚い
だが覚醒している際の夢こそ根強く大切に抱き続けるということ
命の限り夢を追い続ける、意気地のない人生なんて歩みたくはない
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