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己の弱さを知れ

2016-07-20
己の思考する傾向を知る
己が如何に「読んだ」かを「読む」という視点
感情的な思い込みで「レッテル」を貼り思考停止に陥らないこと

「強くあれと言う前に、己の弱さを知れ」、桑田佳祐の新譜『ヨシ子さん』(ソロシングル)に収められている「百万本の赤い薔薇」という曲の歌詞にある、僕のお気に入りの一節である。いつの時代も世情は「強く逞しい」ものを求める傾向があり、メディアを通じて暴論とも思える発言が喧伝されると、世論はその人物にリーダー性を覚えるという構造が成立することが多い。現代のメディアは討論を劇的に見せることに躍起になり、視聴率を念頭に置いた制作姿勢となると、理性からは程遠い茶番が展開することさえある。だが考えてみれば、自らを「強く逞しく」見せている思考の人物は必然的に他者にも「強くあれ」を強要し、弱者の視点を持つことがない傾向を示すことが少なくない。歴史を見ても明らかだが、独善的に「強くあれ」を希求した人物は、短期的に滅亡する脆弱さを孕んでいると見るのが妥当ではないかと思うことが多い。

ここ最近のゼミでは、「文学教材を如何に読むか?」そしてまた「豊かな読みのある国語授業とは如何なるものか?」という点について、様々な視点から学生とともに考えている。中学校定番教材『走れメロス』が、どれほどに大学生として独創的に「再読」できるかといったことを対話的に話し合う。そのテクストを己が「読んだ」ことそのものを、ゼミ内で他者と共有しつつ次第に己の「読み方」を相対化していく。小説の登場人物を感情的な固定観念で決め付けるのではなく、小説の内外から、そして己の諸々の思考を対峙させて、批評的分析的に読み解いていく。全員で11名のゼミ生を三分割して3・4名のうちで自由な対話を、構成人員を入れ替えつつ3度実施する。その小班の「読み方」にも影響され、場合によると自主規制するかの如く、班の「読み方」に同調する傾向も顕われる。まさにその「読み方」の葛藤そのものに、「己の弱さ」が表出する。「強くあれ」という独善的定式的な「読み方」を強要するのは簡単である。知性を動員して「読む」ことの入り口がそこにある。それは「文学テクスト」のみならず、自らが向き合う社会的事象に対しても、せめて大学生ならすべてそのような思考で臨んでもらいたいという願いを込めての作業である。

頽廃したメディアを多様な視点で読み解くこと
弱者を卑下する言動を、僕たちは理性をもって拒む必要がある
今一度唄おう「強くあれと言う前に、己の弱さを知れ」
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