「大学で学ぼう」希望に導く講義

2016-07-03
附属中学校3年生
希望に輝く眼の生徒たち
「詩歌はなぜ心に響くのか?」60分講義

附属中学校との共催で、標記の企画の講師を務めた。附属校においては、ここ2年間において年に1回ずつ、研究授業の教壇に立たせてもらっている。昨年は附属小学校6年生、一昨年は附属中学校1年生での授業に臨んだ。(今回の参加者の中には、僕の2年前の中1での授業を受けたことがある生徒もいた。)そんな意味で附属の子どもたちには、大変親しみを持っている。研究授業では、当該校種の授業を研究対象として試案的に実施するというものであるゆえ、小6と中1の各発達段階を考慮した、詩歌を教材とした授業を実践した。それゆえ僕の場合は、小学校から大学まで、すべての校種で授業実践に臨んだ経験を持つことになる。各校種でどんな学びが為され、どんな発達段階の子どもたちなのかという実態の把握は、やはり授業を実践し実感してみないとなかなか容易に把握できるものではない。ましてや「国語教育」を研究する立場であるから、こうした実践経験こそ理論を語る際の大きな糧となるのは言うまでもない。そういえば、昨年は高校生向けに「出前講義」と称して隣県まで出張したこともあった。大学の「講義」を模擬的に据えて、高校生や中学生に語るにはどうしたらよいか?そんな問題意識も、こうした経験から得られるものである。

今回は「詩歌はなぜ心に響くのか?」というテーマ。大学での学びに限らないが、「なぜ?」という問題意識を持つことが大変重要である。中学生は日常生活で、好きなアーティストの楽曲に思い入れを持ったり、映画とかスポーツのシーンに心を踊らせることもあるだろう。テレビならぬスマホが、1人1台という新たな「時代」を迎えて、エンターテーメントな「見せ方」の効いたメディアに触れる機会も多いはずだ。そんな中において「国語」で学ぶ「詩歌」は、一般的に劣勢を余儀なくされていることは容易に予想できる。だがしかし、「教材」だからとか「詩歌」だからという否定的な考え方を、まずは指導者側が回避する必要があると考えている。大仰に語るならば、人は根源的に「ことば」なくしては、自己存在さえも支えられないということ。日常で触れることばを豊かにすることで、人生が変わると僕は考えている。このような立場からすると、「詩歌」のことばは格好の題材であるということになる。その名作たる短歌などを読む際に、「自己の思い」を起ち上げて読むことで、他人事ではない想像の世界に誘うことができる。その中学生の「思い」とは、今現在すぐに起動するものではないかもしれない。来るべき将来において、大切な人に「人生で一番大切なこと」を伝えようとした時に、その「ことば」が必要不可欠になるかもしれない。そのいつ来るかはわからない人生の決定的な岐路に向けて、中学校時代に「種蒔き」をしておく必要がある。このような設定で、何首かの短歌を題材にして「自己創造的な読み」と「ことばへの思い」を、少々批評的に展開する60分となった。

最後は、参加者個々の「生きる」をことばに託す
「国語」の、「教育学部」の学びが、どれほど中学生に響いたであろうか?
「たんか県みやざき」の附属中学生に向けて、歌の素晴らしさを伝えたい。
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