ことばで自己を捕捉する
2016-06-29
自分がやりたいことは何か?追究したいこと 考えて楽しいこと
ことばに敏感な感覚があれば思考も活性化する
自己という存在が、どのように思考する傾向があり、何を好み何を嫌うかといったことを正確に捕捉するのは簡単なようで難しい。所謂、「思い込み」の状態に陥りがちなのは、動物としての人間が個々において自己本位にできているからだろう。だがこれも、生物としての必然であるのも確かであると思う。それだけに人間が人間たる存在理由は、ことばで自分自身を捉えて、鏡のような存在の他者とコニュニケーションをとって表現を相互に交換できるということだろう。誰しもそう簡単には、こころそのものを表現することはできないが、自分の「こころの形」を意識して言語化することが、知性があるということになろう。助言や苦言を入り口で遮断し、自己を省みることがなければ、人として頽廃した方向に陥らざるを得ない。このような意味でも、ことばに繊細にこだわるということが、どれほど大切かが理解できる。日常から理性的な会話ができてこそ、こころある人ということになる。
僕が大学学部の頃、研究会(ゼミに当たるもの)で発表をすると、先輩諸氏から様々な質問をいただき、次第に自己本位に和歌を読んでいたことに気づかされた。さらには指導の先生が、諸々の意見をまとめて言説化すると、「自分はこういうことが考えたかったのか」と目から鱗が落ちるように気づかされた。その先生の妙技たるや、実に素晴らしいと感嘆し、自分自身がどれほどに「頭が悪い」かを悟った。大切なのはここからである。自己の愚かさを知ったら、いつかはあの妙技が自分もできるようになることを目指して、ことばと格闘しようとすることだ。そんな習慣を持ったがために、教師になってから生徒たちと面談すると、「何で先生は私のことがそんなにわかるのですか?」と言われるようになった。恩師の次元まで達したかどうかは定かでないが、少しは妙技に近づいたのかもしれないと思う。いや、今の立場であるなら、それができていてこその生業ということになるだろう。ゆえに学生と学生を結びつけ、その対話に自らも参入する形式のゼミで、学生たちに自己発見を促すよう展開しているわけである。
「わかってる」は思考を停止させる
恩師の口癖は「中村君の言っていることはわからないなあ〜」
単純な一語で感情を表現すると、こころが動かなくなり人情も薄れるということらしい。
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