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因果応報即ち言動傾向なり

2016-06-23
「善悪の因縁に応じて
 吉凶禍福の果報を受けること。」
(日本国語大辞典第二班より)

仏教語である「因果応報」だが、現在では「悪い」意味に用いることが多いと各種辞書にある。だが元来は、冒頭の日本国語大辞典の記述のように「吉凶禍福」の報いがあるということだ。また「仏教語」ゆえであろうが、「仏」が「現世の人」に下す「悪因悪果」であるように捉えられることも多いだろう。「仏」が下すのであれば、「人間」が管制できるものではなく、「神(仏)頼み」によって、結果として「悪い原因」があれば「悪い果報」に見舞われると思われがちな語彙であるように思われる。

だが果たしてそうであろうか?「因果応報」とは即ち「人間」の「行動傾向」が招く必然的な「結果」なのではないかと思うことがある。長年、中学校・高等学校で教員をしてきた経験から、子どもたちの「行動予測」をする習慣が身についた。日常の行動傾向や発言傾向を観察していれば、その子がどのような「結果」をもたらすかが、概ね予測することができるようになる。よく生徒たちには、「何で事前に分かったのですか?」などと言われたこともあったが、それは日常の客観的で冷静な観察眼以外の何物でもない。教師は「医者」であり「易者」たれということを唱えた方がいたが、言動傾向の観察が適切な「診断」や「予知」につながるという必然があるということだろう。

「自己の行動傾向を知る」ことが知的であるということ
教員養成を行う立場として、学生への前向きな苦言は、
これに気づき自分自身で実践できるようにするためなのである。
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