明治時代を考えてみると
2016-06-21
文語の表現力「国語」を定めるための尽力
「明治は遠くなりにけり」いや・・・
必要があって、明治時代の「言文一致」や「国語」制定の問題に関する資料を紐解いている。「漢字廃止論」や「漢文廃止論」といった極端な西欧化に類する動きがありながらも、短期間で近代国家の仲間入りをし、西洋列強に肩を並べるに至ったこの国の人々の向上心には、感服せざるを得ないものがある。先日の短歌トークでも、「心の花」創刊の中心であった佐々木信綱について語られた際に、伊藤一彦先生がその学者としての凄まじい仕事ぶりに言及していた。帰宅して玄関に入るや否や袴を脱ぎ去り、すぐに書斎の机に直行し原稿を書いたという逸話である。「明治時代の学者は、自分の仕事が遅れると日本の国自体が遅れる」といった自尊心と責任感を原動力に、国文学や短歌研究に勤しんでいたわけである。よってその仕事内容も多岐にわたり、一つのジャンルができれば「学者」であるというわけでもないといった矜持があったように思われる。
時代は変遷し平成の世の中となって。早28年が過ぎた。僕自身が志してきた学問とは何であろうか?などとその原点をあらためて考えさせられている。明治時代の学者の書いた文献に眼を通して、その大局的な物の見方に感心させられる。また国語・国文学へのこの上ない愛情の深さに溢れ、それゆえの開拓的な仕事の数々が心に響いてくる。そしてまた自分自身の言語表現に関しても疎かにせず、創作への妥協なき態度が神々しくさえある。それゆえにジャンルを問わない人間関係においても潤沢なものがあり、人間の器そのもののスケールが大きいように見受けられる。その「明治」という時代は、遥かに遠いものなのだろうか?これまた短歌トークで語られた話題だが、「教科書に載っている作者というのは、亡くなった人である。」という感覚を、小・中学生は持つと云う。否、僕たちの生きる時代は「昭和」と深く連接し、「大正」の豊かな教養主義、そして「明治」の文明開化にも連なるのである。「国語」を教えるにも、こうした時代感覚が求められるのではないだろうか。
そもそもなぜ「国語」なのか?
明治35年(1902)にも起こった「教科書疑獄事件」
僕の祖父母を考えれば、ことばは綿々と受け継がれて来ているのである。
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