「歌はやがて人の心の花なり」宮崎歌会300回記念トーク
2016-06-19
「ひろく、深く、おのがじしに」ことばを探し批評する仲間と場に参加する
宮崎でさらに大きく咲く心の花
著名な歌人である俵万智さんが、この4月から宮崎に移住された。この”ビッグニュース”は地元新聞の紙面を華やかに飾り、地元では大変明るい話題となった。万智さんが宮崎を選んだ要素として、「歌の仲間」がいることが心強いという弁が記事にもなった。この地には、現在「NHK短歌」で毎月講師を務める伊藤一彦先生が築き上げてきた「心の花宮崎歌会」がある。従来、古典和歌研究と国語教育研究を続けてきた僕が、この宮崎の恵まれた「短歌環境」に出逢えたことは、実に偶然の折り重なった”奇縁”といってもよいだろう。学生時代に佐佐木幸綱先生に出逢ってから、かなりの月日を迂遠したが、今この地で「短歌」を学び合える先生や仲間に出逢えたことには、深く感謝せねばなるまい。そしてまた「心の花」に参加することそのものが、従来から取り組んできた研究をも、さらに熟成させていく力になることを、この日のトークからしみじみと感じ入った。「心の花」創刊の中心であった佐々木信綱は、もちろん『万葉集』など和歌や歌学を対象とする研究者であった。そして長い歴史の中で、森鷗外・上田敏・木下利玄・勝海舟そして柳原白蓮等々・・・幾多の歴史上の著名人がその心を歌に託し花と咲かせてきたのである。この日の第一部「心の花と現代短歌」に題する佐佐木頼綱氏の講演においては、こうした点が深く再認識され、僕の今後の考えるべき生き方が示唆された思いであった。
第二部は「短歌の喜び、短歌の楽しみ」と題されたトーク。伊藤一彦先生の司会で、俵万智さん・大口玲子さん・佐佐木頼綱さんの四者が語り合った。四名それぞれの短歌との出逢いは、やはり友人・師匠・家族といった人間的な邂逅を原点としている。そして「おのがじし」(人それぞれ。めいめい。各自思いに。)である「心の花」精神の幅広さ懐の深さが、豊かな歌を紡ぎ出してきた原点たるものであるのだろう。最初は「結社」というと「敷居が高い」という感じがあったと万智さんも語っていたが、会誌に投稿した歌が「どれが撰ばれて、どれが撰ばれない」かを自分で考えるところに、「無言の批評」があるのだと云う。自分自身では気付かない表現の機微について、まさに「おのがじし」に考えつつも、他者(撰者)に伝わり共感を得るか否かということ。それはまさにこれ以上ない「豊かな言語生活」ということであろう。この日のトークの中で一番多くの聴衆の方々の共感を得たのは、万智さん曰く「短歌は”日記”ではなく”手紙”のようなものです。」というフレーズであった。確かに「日記」であれば読み手もなく、自己満足で終わらせてしまえばいい。だがしかし「手紙」となれば必ず読み手がいて、その人に自分の心の機微を伝えなければならない。今まで僕自身が創作した短歌でも、「日記的に自己完結」してしまうとやはり他者には伝わらないという感触があった。父母をはじめ親友でも知人でも、愛すべき人々に心を伝えようとする。そんな歌こそが、より多くの人々の共感も覚えることになるのだろう。
夕方から懇親会へ
四名の歌人の方々と酒を交えた楽しい会話
この仲間に入れていただいている幸福に、深く感謝する宵の口であった。
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