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「人に笑われてきた悔しい歴史が・・・」イチローが登る階梯

2016-06-17
「子どもの頃から人に笑われてきたことを
 常に達成してきているという自負がある。」
「小さいこと」を重ねた4257安打の意味

僕の家の和室床の間に併設した棚に、1枚の色紙に書かれたサインがある。紙面の比率にしたら大変小さな文字で”Pete Rose”と記してある。それはまだ僕が中学生の頃のことだ。「日米野球」が日本シリーズ後に開催され、MLB”Cincinnati Reds”が来日した折に、宿舎であるニューオータニまで早朝から駆けつけ、試合に向かうバスに乗り込んだ当人から、窓越しに記してもらったサインである。僕自身が今でも野球に深く魅了されている原点の一つに、そのサインが燦然と輝いている。やや前屈みでバットを寝かせた変則なフォームでヒットを量産し、塁に出ればヘッドスライでイングを敢行し、三塁守備も躍動的な動きであるその選手が、MLB最多安打の張本人なのであった。当時の「日米野球」では、その個々の実力の差は明白であり、あらゆる点で日本選手は桁違いのメジャー選手には到底及ばないという印象を強くした。同時にやはりBaseBallたるやMLBにこそ真髄があるという感覚が、僕の心に巣食ったのを鮮明に記憶している。あれから何年が過ぎたであろうか。イチローがMLBシーズン最多安打を記録した2004年頃より、僕も機会あるごとに渡米し彼の試合観戦を重ねてきた。シアトルの街そのものが好きになり、街のファンの方々と随所でイチローの偉大さについて会話した思い出がある。野球好きな父とともに、そのシアトルを訪れ、ライトスタンドから背番号「51」を追いかけたこともあった。そしてまたアリゾナキャンプでネット越し2m以内で、その肉声を聞いたこともあった。何より09WBC決勝・ロスアンゼルスで眼前で観たイチローの勇姿は、人生の記念碑といってもよいだろう。

「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」というイチローの名言は、僕にとっても座右の銘たる価値がある。「今現在」の「小さな」ことからしか、人は歩めないのである。そして今回の日米通算最多安打更新にあたり、イチローは冒頭に記したような趣旨のコメントを残した。彼は子どもの頃から「プロ野球選手になる」と明言しては周囲に笑われた。「プロ野球選手」が実現したのちも、「あの打撃フォームではプロでは通用しない」と指導者や評論家は無責任に嘲笑い突き放した。渡米後も「首位打者になる」と言っては周囲の失笑を買った。だがどんなに苦しんでも、彼は常にその「笑われたこと」をバネにして有言実行を貫いてきてこの日を迎えたわけであろう。09年WBCで最後に英雄となったイチローであったが、日本で開催された1次ラウンドでの不振の折には、どれだけの心無い観戦者が嘲笑っただろうか?大会後に胃潰瘍を患うほどに、彼は誠心誠意自らと闘っていたのだ。「笑われる」ほど挑戦的であってこそ、人生の新たなステージが開拓されて行くわけである。ピート・ローズに始まり眼前のイチローに至るまで、様々な思い出が僕の中で逡巡しつつ、この日のライト線への痛烈な快打を、僕は万感の思いでテレビ映像で観たのであった。そういえば僕自身が高校3年の時に、学級担任との進路に関する三者面談で「大学教授になりたい」と発言したことがあった。遠回しな表現を担任教師は口にしたが、本心では彼に「笑われた」と僕はその時察知した。「あの時」から受験勉強、学部での学び、教師となっての苦労、院試再挑戦、現職教員と研究の両立、博士論文提出までの苦闘、幾多の公募不採用を経て僕の今現在があるのだ。

「日米通算」を嘲笑う者がいるかもしれない(記録更新をされたローズ本人を含めて)
42歳とは決して思えない身体能力が、新たなる階梯をどこまでも登って行く。
イチローが闘い続けるなら、僕も今現在できる「小さいこと」を無限に追究することを誓おう。
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