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庖丁の切れ味

2016-06-15
2ヶ月に1回
生協の店先にやって来る
専門商による庖丁研ぎのありがたさ

現在の赴任地に越してきた後、母が来訪すると必ず「庖丁がよく切れない」と口走っていた。確かに東京在住時から、研いだことなどほとんどなかった。毎日料理をするわけではないゆえ、余計に「切れ味」へのこだわりは薄い。しかし次第に、朝の果物スムージーを毎日作るようになり、家で料理をする日も増してくると、やはりその「切れない」を深く実感するようになってきた。福岡に行った際に、便利用品でドイツ製の「庖丁研ぎ器」が目を引いたので購入したが、決定的な改善には至らなかった。やはり専門職の方による「庖丁研ぎ」に優るものはないということだろう。近所にそのような店舗はないものかと探していたが、どうやらよく利用する生協の軒先に、2ヶ月に1度の頻度で、庖丁商がやって来ることを貼り紙で眼にしたのだった。

昨年秋ごろに1度研いでもらうと、驚きの「切れ味」が復活した。その後の機会も伺っていたが、前回は日程を1日間違えて、何本も新聞に包んで庖丁を持参すると、生協の軒先には誰もいなかったという憂き目を見た。そしてようやく昨日、確実にその庖丁商に研いでもらう機会を得た。新聞に包んだ何本かを出すと、「買い物の間にやっときます」と気持ちよい応対。それほど時間も要せず、すべてが研ぎ上がったようである。しかし「刃物」というものも、なかなか精緻で現金な代物である。とはいえ、人間の脳も同様に「研ぎ澄ます」機会が必要なのかもしれない。研ぎ石に摩擦する刺激の如く、Webを含めた他者や書物から刺激を受けないと鈍物になりかねない。固着し堆積し停滞した脳で物事を斬っても、鋭い視点は得られないであろう。この日のゼミでも学生たちに話したのだが、あらゆる「他者」と接する機会が自らの「切れ味」を磨くことになる。教員採用試験二次対策としても、内に籠って固着するのではなく、未知の人々や子どもたちと接する機会が自らの魅力を創り、「この人を教育現場に立たせたい」と思わせるということになろう。

まさに「切磋琢磨」ということ
摩擦を恐れず自らに刺激を与え続ける
庖丁の切れ味から学ぶ
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