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実践こそ研究の極意

2016-06-11
「私生活」「大学運営」「教育」
すべてが自分の「大事な暮らし」
これぞ「実践」との融合たること

登録している言語教育系のメルマガに、冒頭に記したような趣旨の記事があった。直接的に僕の研究分野に関係する先生が主催しているわけではないが、このメルマガの記事に示唆を受けることは多い。研究者は、如何に理論と実践を融合して現場に実利を還元していくか。昨今、急速にこうした立場が、社会的に求められるようになってきたようにも思う。僕が大学学部時代頃までは、特に文学部たれば、「現場の実利」にむしろ適わないことこそ研究者の「生きる道」といった矜持さえあったように回想できる。元来、「役に立つ立たない」は誰にもその場では分からず、だからこそ「文学」を読むのが人生だといった研究に対する誇りとでもいおうか。その「文学」を始めとする人文学の肩身が狭くなってしまった現代の狭量な社会は、何かにつけて「実利」「成果」「対費用効果」などとの相関ばかりを重んずる、”つまらない”社会になってしまった。

だがしかし、社会の潮流の中で僕たち研究者はどうしたらよいのだろう。「文学」が虐げられて来たのならば、むしろ「ピンチはチャンス」と考えるのも「文学的」は発想かもしれない。「ペンは剣よりも強し」と思われるから、狭量な側にいる面々から恐れられる存在なのかもしれない。誤って「文学」が実効力を持ってしまったら、軽薄な威厳でしか生きていけない輩は、到底太刀打ちできなくなってしまう。このように逆説的・楽観的に時流に対応していくのも悪くない。もとより新卒時は「研究」よりも「実践」をせずにはいられず、教育現場に真っ向から飛び込んだ僕である。やはり「理論」と「実践」の両立にこそ、「生きる道」があるように自認する。このような前提で、冒頭の記事を読む。「私生活」も楽しむ、「大学運営」も必ず自己の研究成果に還元される、「教育」は言わずもがな、ということであろう。更には「地域貢献」に奔走すれば、自己に新たな気づきを与えてくれる出逢いがある。短歌を創作し深く考えれば、自己の研究が一本の糸で結ばれてくる。これ以外にも、すべてをひっくるめて「自分の大事な暮らし」に他ならない。要は「生活」することそのものが「実践」である。その「総合的生活者」が「研究」をしているという視点もあるのだと考えさせられた。

見えなかった錯綜した糸が繋がり始める
なぜ僕はこの地にいるのか?かの大学で学んだのか?
人生そのものが「文学的」であるからこそ、生きる価値もあるということ。
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