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学び続けるいつまでも

2016-06-03
「三人行えば必ず我が師あり」(『論語』)
あらゆることが学びだと思うということ
「教師」が持ち続けなければならないもの・・・

学部3年生の講義では、9月の教育実習に備えて「模擬授業」を開始した。5人一班を構成し教材ジャンルごとに指導案の骨子を対話して創り上げて、決められた担当者が15分間に凝縮して模擬授業を実施する。構想から模擬の実施まで、1週間という時間があるが、これは長いか短いか?先日参加した全国大学国語教育学会では、「課題研究」として「理論と実践の融合」、つまり「研究者が現場とどう関わるか?」といった内容が討議された。その中である大学の先生の実践報告では、「完成度より冒険的な模擬授業を実施する」ことや「迅速に作って実践しその後に十分な対話を持ち練り上げていく」ことの重要性が説かれていた。綿密な指導案作成においては、特に実習生であれば大きな意味があるが、現場に出たらそれほど十分な時間があるわけではない。もとより「授業」は「生き物」である。手際よく料理を作り熱いうちに食べるのが賢明だということにもなろう。細部や形式はいつでも変えられるが、その「授業」の「核心」は何かということを、常に考え続けることが肝要であるということだろう。模擬授業を実施したら、それを元にさらに綿密な指導案を作成し続けるということだ。

新卒で教師になった20代の頃、僕は現場の仕事に無我夢中であった。授業も部活動も学校内での人付き合いも、どれも全力で向き合っていたように思う。同世代の同僚にも恵まれて、「学校」にいることが日々楽しかった。だが10年ぐらいすると、学び続けていない自分に不安を覚え、再び大学院修士課程の門を叩いた。学校を転勤すると更に研究することが尊いことに思えて、30代の無我夢中が訪れ、研究発表や論文執筆に躍起になった。勤務校の進学指導関係の行事として大学教員が来訪し「大学模擬講義」を実施するや、自分もその立場で「講義」を行いたいという野望の炎が燃え盛った。「大学教員になりたい」という希望について親しい先輩に話すと、「なぜ高校教員ではいけないのか」といった根本的な問いを返していただいたこともあった。ひとえにそれは、「学び続けたかったから」と答えることができる。翻って考えれば、「大学教員」だからといって「授業」が上手いとは限らない。「理論」を中心に「文字言語」の上では秀逸な実績があっても、「授業」となるとまた違うということも実感している。前述した学部講義での「模擬授業」であっても、実習生の「研究授業」であっても、まずは僕たち研究者にとっての「学び」であることを忘れてはならないであろう。教師を目指す学生を指導するにあたり、自らも言い訳のない「授業者」でありたいと、いつも思うのである。

小中高大すべての校種で「授業」経験あり
「現職」であるからこそ学び続けるということ
学生の青々とした芽生えから、学ぶことも多いと日々思うのである。

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