「小国寡民」な山あいにて
2016-06-01
老子が理想社会とした村のような国山あいに流れるのどかな時間
住む人はみんなお互いを知っているところ・・・
陶淵明という中国の詩人がいる。その作品の中に『桃花源記』は著名であり、高校漢文の教材としても知られている。ある漁人(漁師)が、両岸に美しい桃の花咲く川に導かれ山あい深く船を進め、奥から光溢れる洞窟を発見しさらに徒歩で進むと、そこには理想郷たる村が存在していたとする物語である。豊かな田園風景、犬や鶏の鳴き声のうちに家々からは竃の煙が立ち上る。そこに住む人々は、漁人の住む大国で使用されている元号も知らず、自給自足な生活を送っている。外部から悪影響を受けることもなく、民はお互い懇意にしており助け合って生活をしている。こうした村を「桃源郷」と呼び、東洋のユートピア思想の代表としてその名が知られている。この陶淵明の作品の根本となるのが、老荘思想の祖たる「老子」の提唱した「小国寡民」という考え方である。僕も高校時代の漢文の授業で、この作品を独りで先走って読んでその光景を想像し、いつかは「理想郷」に行ってみたいと考えたことがあった。
海沿いの市街地から次第に山間部に道路は分け入り、谷川からかなり高い位置に設置された橋梁をいくつも越えていくと、ある郷に辿り着いた。現代にして橋脚やトンネンといった近代的開発の恩恵によって、自動車を利用すれば容易に赴くことのできる環境にあるが、過ぎし日の交通を考えると、その困難は計り知れない。郷の中心には公民館や郵便局があり、その近くに小学校もある。歴史ある木造校舎の趣、のどかな校庭の佇まいに魅了される。小学校に入る道路の前には、酒屋が1軒。どうやら学校の敷地内まで車を入れるのは難しいようで、この酒屋の前にいる方に問い掛けると、うちの脇に駐めておけばよいと笑顔で応対してくれた。「何処から何の目的でこの小学校にいらしたのか?」といった趣旨のことを問い掛けられ、聊か立ち入った事情を話すと、僕の目的たる人物をよく知っているようなお答えをいただく。こうした感覚が、さながら前述した「桃源郷」での漁人と郷人との会話を彷彿として、其処に滞在する約2時間余りの時間を、僕は実に穏やかな気持ちで過ごすことができた。
国の政治たるや財政赤字も省みず、何を変転・混沌としているのか?
人と人とが繋がる郷には、愛情豊かな環境が醸成される
「美しい国」とは、こういうことを云うのではないのだろうか。
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