加工再生産的創造
2016-05-22
平安朝文学に大きな影響を与えた白居易中国では評価の低いこの詩人が流行したのはなぜか?
加工し再生産しあらたな価値を創造する文化的特徴なのか・・・
中古文学会春季大会に参加した。ここ数回ほどこの学会は、国語教育系の学会と重なり参加できていなかったが、今回は1週間ほど期間が前後した。しかも母校が会場とあって、懇意にする先生方が大会運営に尽力し、来場者も大変多く盛大な会が催された。学部同期の親友が開催学部の長を務めており、彼の挨拶から学会は開幕した。自分の年齢はもはや、そのような役職を担う境地になったかと聊か個人的に感慨深い挨拶であった。その後は、「平安朝文学と白氏文集」のシンポジウムへ。普段から親しい和漢比較文学会の先生方のパネリストに加え、中国文学研究者で『白楽天ー官と隠のはざまで』(岩波新書2010)の著者である川合康三氏の基調講演が行われた。このシンポジウムを通してあらためて、源氏物語の背景にある濃厚な白居易詩の影響、日本漢詩そのものが白居易を範として成長したこと、また渤海使の存在が日本と唐の文化の架け橋となっていたことなどが再認識される内容であった。
詩は「抒情」を根源に成立するというのは、日中に共通した詩論である。川合氏のご講演に拠ると、白居易の文学は「諷諭」と「閑適」を柱とし「公と私」「仕官と隠棲」を並列させたことに大きな意義が見出せると云う。私的個人生活を表現したものが詩になることは、「何が文学たり得るか」という、普遍性を考える上で重要な視点である。また過去に蓄積されて来た作品を基盤に据えつつ、如何にそこから「ズラした表現をするか」ということも白居易の成した文学を考える上で重要であることが知られた。「悲しみ」のみならず「歓び」も並列し、唐では「素人好み」であった白居易詩のあり方は、まさにその文学的特徴そのものが平安朝の文学創作者が好む性質を持っていたということであろう。最近、明治という新たな時代が「国語」(日本語)をどのように「創って」行ったかという点に個人的に興味がある。それはあらためて仮名文字の発明・使用・発達・展開を成した、平安朝と通ずる興味なのだと、この日のシンポジウムを通して理解することができた。
「国語」を考えるならまず平安朝文学から
自らの敷衍した研究分野をつなげる糸
加工再生産的創造を和歌・短歌を通して考えること。
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