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ひとり一人に話すということ

2016-05-18
授業でも休憩時間でも
大勢に向かってではなく
ひとり一人に話している意識が肝要なり

来週から4年生が教育実習に入るゆえ、この日のゼミでは「実習で学びたいこと・気をつけたいこと」を3年生を交えて対話した。既に昨年9月に附属校での実習を3週間終えている4年生と、まだ参観実習を1週間のみ体験した未知の3年生が語り合うことで、あらたな化学反応が起きるであろうことを意図した設定だ。4人ずつ3班に分かれ僕もその1つに入り込み、まずは4年生が話題提供者となって10分ずつの対話を行う。その後、4年生が「実習テーマ」を小型ホワイトボードに書き込み、目指すべき点をコメントする。対話で炙り出された自己のあり様を、言語化して自覚するわけである。5人から提示されたテーマは、「楽しい授業をする」「子どもとのコミュニケーションを大切にする」といった類が殆どであった。さてその内実とは、どういうことであろうか?

授業が「楽しい」とはどういうことであろうか?ゼミの中では「(子どもたちが自ら)発言したくなる」とか「(教師として)予想外の反応(回答)が出てくる」などが挙げられた。そして何より良い反応があるためには、「コミュニケーション」が十分に取れていることだという方向性に話は展開した。僕自身が中高教員であった頃、実習生を5回ほど担当したことがあるが、まず課題として「(実習が始まったら)なるべく早く担任学級の子どもたちすべてと会話を交わすこと」を課題とした。もちろん授業で学級全体に話す機会は多いのだが、肝要なのは「ひとり一人」と対話をすることである。体育館での集会や修学旅行中のこと、大勢を前に注意をしなければならない場面もあった。その折に子どもたちを集中させるには、「(私は)ひとり一人に話し掛けている」という姿勢を前面に出すことである。好きなアーティストのLIVEでファンが熱狂するのは、「自分に話し掛けられている」ような幻想に浸るからであろう。学級であれば「1対40」ではなく、(「1対1」×40)ということである。

5人の実習生が何人の子どもたちとふれあうのか
学生そのものの「コミュニケーション能力」を育む必要性も高い
教科専門たる文学の内容を伝えるのにも、ここが成されなければ何も伝わらない。
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